個人解放の理論のために 

個人は世界に親または共同社会によって、必ずある限定された存在として産み落とされます。
彼または彼女の生歴史は、その限定された存在の展開として「運命」的です。
この「運命」としての自己規定(本質)は、世界によって規定されているので、盲目的に自己を貫き、その本人を翻弄したりします。そして、多くの場合、その個人は、自分の「運命」に気がつくことはありません。それはただそこにあって、個人を決定し続けているのです。

この、個人のあり方は、本質的にも、事実としても、束縛、隷属、非人間化ですが、その全き展開のうちから、真に自由な、自己が生まれます。それはもう「運命的」なものでも「宿命的」なものでもありません。それもまた、限定された規定ですが、うちから湧いてきて、世界、外界からの自立的な自由そのものです。