支配勢力の巻き返しがはじまつて

小沢裁判は、合理的には、控訴すべき根拠はない。
だが、検事役の弁護士はそれを強行した。

原発が止まった日本において、もはやそれを再稼働すべき合理的な理由は存在しない。エネルギーを足りさせることはできる。化石燃料が高くつくといったところで、原発を稼働していくコストも今までより高くなることははっきりしたのであり、コスト的な理由もない。

だが、原発を動かすことでまわっていたお金によっておいしい目をしていた勢力や、それによってしか生きられないようにされた自治体、住民は、それをつづけたいと思わないわけにはいかない。


大人のランキンタクシーさんの反原発の新曲が昨日からツイッターでやたら叩かれているのを見たが、フクシマの人のことをおもいやっていないという理由なのには、唖然とした。原発で生きてきた住民がいることに理解をしめせとのことのようだが、それを全ての日本人に要求することは無理である。とりわけ、原発54基稼働に何の責任もない若者とはじめから反対してきた人々には。


「即時停止」というこの間の運動の主張は、原発で生きてきた人々の生活のために原発を動かしつづけてほしいという要求と対立するのだ。

対立しても、それは掲げないわけにはいかない。



泊の原発が定期点検のため、停止したため、日本は実に四十年ぶりに、原発の稼働がなくなった。


自立した日本国をめざす流れの先頭にいた小沢氏は、従来の支配権力により、抹殺されようとしたが、先日の一審無罪により、ふみとどまった。明治末年の大逆事件のような結末はからくも防がれた。


だが、支配権力はその力とつながりを今も保ったままなのであり、これらの他力的なところのある勝利は、恒久的なものではない。


すでに、原発再稼働は強行されようとしている。
小沢裁判では、検事役の弁護士は、控訴を強行した。裁判自体が不当であったのだが、一審無罪はそのことを問わなかったので、こうなった。


再稼働にせよ、小沢控訴にせよ、常識からしてそれはない、との意見もけっこうあったが、事実は以上の通りである。


支配権力側の巻き返しがはじまる。これ以降は、論理や公正に訴えるだけでは足りない。実質的に