九条原理派

 参議院選挙は七月にある。もうすぐである。すでに終盤でいろんなことは決まりつつあるという声もある。だが、ここに来て、いくつか動きが出た。

 それを九条原理派の登場と、改悪反対各派内の連携への動きと特徴づけたいと思う。

 九条原理派とは、元外交官の天木氏の九条ネットからの出馬のことである。天木さんは中東の外交官として、イラク戦争に反対、外務省をやめてブログで発言、相当に人を集めていた。ブログは非公開だったので、菅井には詳しい事はわからないが、その後そのブログはやめられた。選挙にも出たが、知事選ではないので一概にくらべられないが、外山恒一氏程の票も集められずに落選した。外山氏のスタンスが当落を度外視し、自分の政治信条を宣伝することにあったのに対して、天木氏はそれほどはっきりしてはいなかった。
 
 だが、天木氏の展望ははっきりしている。今のような反改憲派の非協力、分断の状態では、どんなに自民党が失政をくりかえしても、民主党はあいまいなスタンスだから、国会で3分の2をとられて、国会からの改憲発議はされてしまうであろう。国民投票でそれを阻止すること以外にない。政権党の強行採決の場でしかなく、機能しなくなっている国会では不可能なのだから、国民自身が立ち上がって、阻止しなければならない。政府の宣伝にしたがって改憲をということになれば今までどおりの体制がつづくが、もし、政府にもアメリカにもおもねることなく、自主的に九条改憲を阻止するなら、それは日本で最初の市民革命になる。それが天木氏の展望である。ブログでもはっきりと何度もそう発言している。
 だとしたら、天木氏のすべきことは当落を度外視して、国民に直接、九条を軸とした憲法と政治、外交の展望を語り、改憲派の展望のなさとアメリカ軍の一部隊をつくることにしかならない軍隊の復活なるものの危険性や、管理国家を強化し、自由を否定しようとしている現実、国家の機能をまひさせつつある無責任を、ありのままに徹底的に訴えることである。ブログの政治ランキングで上位にあることは彼の有利さの一つである。街頭でもそれを徹底的にやるべきである。運動を語り、ブログで返す今のやり方は正しい。

 社民党だって、共産党だって訴えはやっている。だが、彼らは、ある範囲を超えることができない。

 九条ネットから600万円もの供託金を出してもらうということはしがらみかもしれない。組織の必然性から思うようなことが発言できないとか、思ったような活動をひかえるとかなら、出馬は考え直した方がいい。

 天木氏には、九条そのものの宣伝マンに徹すること、改憲国民投票をにらんで、当面の選挙の当落など度外視して、国民の中に憲法の意義、九条が神であることを浸透させていくことを期待したい。
 菅井だって、むかし学校で習った知識だけであったら、今のような、強固な九条擁護派でいつづけることはできなかったと思う。安倍晋三改憲方針が本気であることを悟った人々のネット内外での動き(若い人のブログ、既成政党や九条の会も含む、新聞は含まれない)の活発化のおかげで、あいまいだった知識や見方はずいぶん正された。だったら、ネット内外でさらにうずまきを引き起こし、国民の意識の中における憲法の問題がもっともっと大きくなるようにすることはできるはずだし、必要なのだ。

 外山恒一と比べると、天木氏はあまりに毛並みが良すぎるかもしれない。上流のお仲間とみなされてしまうかもしれない。そのことは大変な壁である。真面目すぎては、乱流はおこせないからだ。風の会をはじめとして魅力的な人物による選挙挑戦は今までもあったが、選挙運動の規制法律はひどく、形式的な選挙運動を超え出ることができなくて、壁をやぶれなかった。

 ポスターもチラシも選挙公報も、とりわけ政権放送も大事である。また、街頭での演説も大事である。共産党はコンピューターを持ち出して、増税のシュミレーションを街頭でやりながら演説している。今までの調子の街頭演説は、天木氏にはしてほしくない。
 菅井の記憶に残る演説といえば、小言をいうような調子の数寄屋橋での老・赤尾敏氏の定例演説や、街宣車を一人で運転し、軍艦マーチや演歌も何もかけずに、ひたすらにマイクで怒りまくってぐるぐる会社のまわりをまわっていた、多分右翼などである。いづれも言葉はよくききとれなくても気分はよく伝わった。真似せよといっているわけではない。

 九条ネットで比例区ということになると、数の一つに没してしまいかねない。まず、比例の第1位にしてもらい、自身が顔になるぐらいのことが必要であろう。
 天木氏のあまりに九条の「神」を連発するここ数日のエントリーに、九条原理派という言葉が浮かんでこんなことを書いた。もちろん、菅井も九条原理派である。