9.11

9.11アメリ同時多発テロの約半年後、菅井はこんな文章を書いた。今になってみると、テロの背景についても、その後のアメリカによる残虐なテロ戦争についても、予想していない、素朴な文章である。だが、あの時、こういう感想を持った日本人もいたのだということは本当だし、書いた通りだったろうというつもりもないが、間違っていたともいえないと思っている。

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2002/2/9
ニューヨークの世界貿易センタービルはハイジャックされた航空機の自爆テロで無惨にもくずれおちた。そして、われわれに、絶対であるように思われたアメリカも絶対ではないのだということを教えた。ちょうど、朝鮮などの支配をめぐってロシアと戦った大日本帝国の勝利が、アジアの先進的活動家に、西欧が絶対ではないのだということを教えた、かつての日露戦争のように。悪(テロルという戦術とそれを可能にする人間観)が結果として歴史を前へ進めることもある。先人はそれを弁証法と呼んだ。
 2月5日夜、日本は東京でささやかなもうひとつのテロがおこなわれた。一人の失業青年が、東京タワーにひそみ、夜いすをつかって窓ガラスを割り、飛び降り自殺をしたのだ。1958年にできて以来、約半世紀、東京タワーから飛び降り自殺をした者は彼が始めてである。
 この「画期」的な出来事は、航空機の代わりに一個のいすを使用、外側からでなく内側から破壊し、たくさんの民間人の代わりに本人一名の命を犠牲にして決行された。テロルであることには変わりがない。
 このことは、社会記号上どのような意味を持つだろうか。あるいは、これから持つようになるのだろうか。

参考
http://bunny.incoming.jp/tkotower.html