参加ということ

アイドルグループのNMB48が新曲初登場でチャート一位になったそうな。
なれなかったら、ブルマー公演が罰ゲームとしてひかえていたそうな。
菅井の生徒時代は、女子は普通にブルマーをはいていたが、罰ゲームとして成立するとは、
ブルマーは女の子にはいやなものなのか。
確かに、ブルマーが大きすぎて、かぼちゃみたいといわれていた人がいたっけ。


でも学園コンセプトのアイドルグループにブルマーはいてるのがあったようだ。


さて、けっこうな売れ行きだったそうだが、どうしてなのかなと考えた。


浮かんだ答えーーー青少年は、「参加」を求めているのではないか。


自分の行動が、世の中に影響を与えることができることを欲しているのではないか。


今日に至るまで政治は一部のえらいさんがやってきた。諸民は何を考え、求めてみても
それに影響を与えることはできなかった。
政治のなりたちも社会のしくみも、しょせんは、はじめから決まっているので、
自分が何をしようと変わりはしなかった。


自分が何かしても、まわりに何の影響も与えられない。何を考えても意味はない。
自分は社会的に「無」、「ゼロ」なのだ。


今までの日本はそんな風に進んできた。今もそうである。


AKBの総選挙も、NMBの一位になれなきゃ罰ゲームも、ファンがCDを買うか買わないかで決まる。
AKBの総選挙を評して、ほんとの選挙とはまったく違う、遊びである、仕掛けにのせられているだけだ、
という声もあった。
確かにほんとの選挙とは違うのだ。だが、それは、ほんとの選挙は大切だが、AKBは意味がない
のではなく、
ほんとの選挙は投票しても、政治に影響を与えているとか、参加しているとかの実感がぜんぜん得られないのに対して、
AKBは確かに自分が参加して順位を決めているという感じが得られる、
ということなのではないか。
NMBだって、自分が買ったから、彼女たちは罰ゲームしなくてよくなった、そればかりじゃなくて、一週目一位、売り上げも新記録を達成させたよ、ということだ。

グッズ、イベントの売り上げが赤字になったら即引退、とか、お客さんの入りが悪かったら、定期公演できなくなります、とかも、ファン心をくすぐる。応援したから、よい方向に変わったとしたい。



「現場系」ということが今のアイドル界の第一特徴だと思うが、それにおとらず、「参加」というのも重要な特徴かもしれない。と思う。