やりたいように生きると大切にする

人間、生きる上で、価値観というものがある。
自分のやりたいように生きる、という価値観はあり、それはすごく多いのではないかと思う。そのように生きられない状況下にあっても、それが理想だと思われている。

だが、私はそれとは、違う価値観をもっている。
それは、「大切にするように生きる」ことだ。
自分を大事にするように生きること、と自分のやりたい事をやるは違う。自分のやりたい事もふまえて、何が自分を大事にすることになるか、判断して行動する、いってみればそんなことだ。

大切にする、とはどういうことか、それを感覚でわかる必要がまずある。ドーナツ人間、自分のない人間は、まずそれがわからない、その経験がない。

ドーナツ人間の、あいている穴を埋めることは、課題ではあるがむずかしい。必要なことの一つは、そもそも「大切にする」「大事にする」とはどういうことか、という感覚を知ることなのだ。

他人を大切にするとは、人間関係を大切にするとは、集団、組織を大切にするとは、社会を大切にするとは、人類を大切にするとは、自然を大切にするとは、それが問題なのだ。

そして、それらすべての中心には「大事にする」「大切にする」という共通の何かがある。

哲学的には、これは「存在の充実」「増大」こそ価値であるという倫理学説の系統に属するだろう。それは、そもそも唯物論的な学説である。

とはいえ、「まんが哲学入門」など読むと、主観的観念論の中からも、存在肯定がとりあげられてきている。