薩長同盟という言葉から

 アメリカのイラク侵略はイラク国民の倦まぬ抵抗と反発によって、失敗に帰すことがほぼまちがいない。
 その結果、そして、開戦理由のいつわりが明々はくはくとなったこともあって、アメリカ国内の世論が変っただけでなく、政府の方針もぐらつき始めている。フセイン裁判の行方も定かでない状況で、部分撤退が言われるようになり、右派政治家からもイラクからの全面撤退を主張する声があがった。
 田中宇氏のホームページでの見解によれば、イラク戦でのアメリカ軍の消耗は想像以上のものであるようで、ヨーロッパやアジアの米軍の最新装備はイラクにまわされ、それらの地域の装備は旧式のものとか、とにかくだいぶガタのきたものになっているという。
 田中氏は、そこからさらに、アメリカが内向きになり、日本からも手をひこうとしているとまでいうが、そこまでとは思えないが、数年前と状況は大きく変わりつつあることは確かである。
 菅井は、アメリカらのイラク戦争を、幕末の第二次長州征伐になぞらえて述べたことがある。第一次長州征伐は湾岸戦争のように勝利したが、絶体絶命で迎えた二度目の第二次長州征伐は、高杉晋作ら徹底抗戦派の獅子奮迅の戦いによって、形勢逆転、幕府連合軍は将軍死去をきっかけにちりぢりになって霧消してしまった。その結果、徳川幕府の権威は地に落ち、幕府を支えていた薩摩藩薩長同盟に動くことになる。そして、明治維新の社会変動に向かっていくのである。
 長州(イラク)の徹底抗戦派の抵抗という第一段階は同様な過程を辿っている。彼らがちりじりにならず、イラク国内が一つにまとまることができること、薩摩との同盟はこれからである。
 その時は日本が変って、薩摩の役割を果たせないだろうか。それとも北方雄藩のようにあくまでも忠節をつらぬくのだろうか。