ブログとは 承前

きようの本題に入る前に、ひと言おわびがあります。昨日御紹介したぜぽさんなのですが、菅井は何を勘違いしたのか、立派な社会人の方のことを、高校生などと書いてしまいました。誠に申し訳ありません。前の日記のその部分を直し、ここにお詫び申し上げます。それ以外の行き違いもあるようですので、そのことは考えてみて、必要な訂正はいたします。とりあえず、ぜぽさんにはお詫び致します。すみませんでした。
                                   菅井 良


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            ブログとは 承前

 さきに、孤高さんという方から、自動相互リンクのシステムであるトラックバックを使って、菅井サイトに対し、リンクした旨の事後報告と、相互リンクの要請が送られてきたが、  
考慮した結果、当方からのリンクはお断りし、トラックバックを削除させていただくことを12月30日の日記に書いた。
 そして、
 通例ならば、まともな紹介サイトであれば閲覧者の増加を見込めることから、リンクしていただくのはありがたいのであるが、
言論ではなく数に頼った荒し・祭り・炎上による平和主義サイトへの攻撃を単に批判しないだけでなく、それを促進するような記事とべージ運営の仕方をしている非友好サイトであり、
偏見と悪意に満ちた一面的なコメントしかつけず、まともに私の日記のその日の内容すら紹介しないような監視サイト(をち、watch)では、それを見て偏見を増幅させたフクダユウイチさんブログの荒しに参加した手合いの、荒し目的でのその直接のリンクを通じての来訪しか期待することができず、当方には何のメリットもないと判断したので、
孤高さん側からのリンク(以下、直リンと書かせていただく)も、止めていただくように常識的な対応を要請したのであるが、
今日に至るも、自分の今までの記事中での直リンを止める様子がなく、さらに、その後の当ホームべージについて悪罵をなげる記事でも直リンを重ねている。孤高さんのぺージに要請を拒否する旨の記事があり、どうやら、本当にはずす意志がないものと考えざるを得ない。遺憾なことだ。


           ブログというホームページ形式

 ブログというホームページの一形態は、最近生じたものだし、まだボクには理解しがたい点もある。その一端は相互リンクシステムであるトラックバックが、一方的にリンクしてくるのを当たり前、とし、さらに、相手にもリンクし返すのが当たり前のようになっていて、事実、何もしないと自動的に相互リンクしてしまうというしくみであることが、極めておしつけがましいシステムのように感じられる、ということとして、前に書いた。



      荒しの一つの頂点としての「祭り」「炎上」にはしくみが存在する


 荒しの促進、「炎上」、「祭り」という攻撃は、荒しに参加する沢山の人々がいて、彼らが参照する、攻撃されている当のブログに対する一方的批判(だけでなく、悪罵・侮蔑や差別的言動など感情的要素付きの)が載せられている有名ページ(複数、をち)がそれをあおる、というしくみで成り立っている。とりわけ、その有名ページに直接リンクがあれば、そこを通じてワンクリックで次々に荒しが降下することができる。これらが荒しを加速する役割を果たしていることは明らかである。たとえ、匿名ででも荒し行動に直接に参加せず、監視(をち)に専念しているのだとしても、「共犯」なのである。先の「孤高」ページはその一つである。
 したがって、そういうページからの直接リンクをやめさせるということは、「祭り」、「炎上」という名でカモフラージュした、平和主義の言論に対する数をたのんだいやがらせ、コメント欄攻撃をなくす上では、大事なことなのである。
 もちろん、批判意見をのせても、荒し、「祭り」「炎上」行為にはっきりと批判を表明し、少なくとも直接にリンクしないをきちんとするページ、正確に内容を紹介しているページはこれには入らない。

 



      孤高サイトに見られる、直リンをやめない理由、を読む(「孤高」12/30付け)


 孤高さんは、12月30日のページで、直リンをはずすようにとのボクの要請のもとになっているリンク(トラックバック機能は、ホームページ間のリンクの一種である)についての考えの部分を丸ごと引用してから以下、5段階に分けて菅井の要請趣旨を批判している。一つ毎に、菅井が論旨を考察する。

《「ボクらの常識だと、まず、メールなどで紹介させてもらいたいので、リンクしていいか、問い合わせ、相手の許可を受けてからリンクする。相互リンクを望む場合でも、希望は出しても、リンクするしないは、相手が決めることで、押し付けることはできない。リンクのOKがでなかったら、あきらめる。うっかり無許可でリンクしていても、やめるように言われたらはずすのがあたりまえ。少なくとも、以前のインターネットの常識はそうだった。」》(菅井の日記からの引用)

 その1 詭弁の指摘 「ボクの常識」を、「インターネットの常識」と言い換えている のはすりかえ。

  [菅井の考察] 「ボクの常識」とは孤高さんの単なる誤読で、「ボクらの常識」とはっきり書いた。これは、ボクがホームページを初めて作る時に、参照した手引きにしたがったまでで、ボクが勝手に決めたわけではない。孤高氏の認識がそれと違っているようなので、さがしたが、残念ながら、当時の手引き書は見つからなかった。その代り、インターネットにある以下の記述を示す。

◎引用その1
《6.16 リンクの取り扱い
 他のホームページにリンクをはるときは、それが他人のホームページであることがはっきりわかるようにしなければなりません。また、リンク先が人種差別や偏見にもとづくものであったり、わいせつ、ねずみ講勧誘など違法なページであったりしないか、よく内容を確かめてからリンクしましょう。リンク先のホームページにリンクの可否に関する記述があれば、それを尊重しなければなりません。
他人のページにリンクをはりたい場合、また逆にリンクをはってもらいたい場合には、こちらのURL、責任者の名前、リンク開始日などを相手に知らせるようにしましょう。》
(財団法人日本インターネット協会
「インターネットを利用する方のためのルール&マナー集」
ttp://www.iajapan.org/rule/rule4general/」

 〈リンク先のホームべージにリンクの可否に関する記述があれば、それを尊重しなければなりません。〉とはっきりと書いてある。
 なお、財団法人とは、「一定の目的のために提供された財産を運用するため、その財産を基礎として設立される法人。現行法上、公益を目的とする公益法人に限って認められる(大辞泉)」公的なものである。


 また、10年間ホームページを続けている方のこんな記述もある。
◎引用その2
《『自分のページ』から『他の人のページ』にリンクを張る場合は、どのようにすべきでしょうか?
ホームページは『公開されたもの』です。ですから、『リンクを張る場合は作者の許可は不要』とか『たとえ作者が「無断でリンクを張らないで」と書いてても、無視して張っていい』という考え方もあります。
ただ、私は『作者の希望を尊重する』というのがネチケットだと思っています。
たとえば、「リンクを張る場合は連絡してください」と書いてあれば、作者にメールを出します。
アクセス数がすごく多い人気ページの場合、「リンクは自由に張ってください。許諾は不要です」と書いてることもあります。
この場合は「リンクを張りました」という連絡だけをメールで送ればいいですね。
リンクを張りたいページに、リンクに関することが何も書いてない場合、作者に「リンクさせてください」とメールで頼むか、「リンクしました」と連絡すればよいと思います。》
(ネットワーク・エチケット 「ネチケット千一夜」
ttp://www.big.or.jp/~roadist/netiquette/ne015.htm)


 また、長年ネチケットホームページでアドバイスを続けてこられた高校の先生のこういう記述もある。
◎引用その3
《[質問]自分のWEB PAGEに他人のWEB PAGEへのリンクを設けたいのですが、事前に許可を得なければならないでしょうか?
[事実]Webのリンクについては、必ず承諾を求めるべきだという厳格な立場をとる人から、Webで提供される情報は本来フリーなものでリンクして欲しくない情報はWebに載せなければよいという立場をとる人まで様々な意見があってコンセンサス(合意)がありません。
[回答]
 この問題に関する相談が1996年9月頃に相次いで ネチケットホームページ に寄せられました。
 以前私は、少なくとも礼儀として承諾を得ることは大事、ただしいちいち承諾を求めるメールを受け取るのを迷惑だと思うWEBMASTERもいるから「いついつからリンクを掲載したいと思いますが問題があるならご連絡ください。問題がなければ○月○日からリンクさせていただきます」というメールを送ることにしてはどうか、という助言をしていました。(以下略)》
(WWWのリンクについて ttp://www.cgh.ed.jp/netiquette/weblink.html)

 この方は、その後、外国などの状況を比較して、「法律上はともかく、礼儀として相手の承諾を得る必要がある」から、「法律上は許可はいらないが、エチケットとして報告するべき、たいていは、喜んでもらえるだろうから。」と、報告すればよいに、見解を改めたのだが、「当初は、承諾を得ること」を《常識》と考えていたことがわかる。(新見解には、いつでも喜んでもらえるわけではないので、その場合を新見解はどう考えているのだろうという疑問はあるが)

 以上です。どこが詭弁なのでしょうか。「勝手にリンクをはるな」というのが最近出て来た主張であるように書かれているのは、事実と違います。 
 また、「以前の(ホームページをつくる上での)インターネットの常識だった」という事実認識のどこに誤りがあるのでしょうか。



 その2 菅井の見解(「直リンしてあるのを相手からどうしてもはずしてほしいと要請されたらはずす」)は、インターネットの常識ではなく、これには議論がされている。

[菅井の考察]
 この点はおっしゃる通りだが、菅井は、過去にはそれがインターネットで常識であったとしか主張していない。ボクらの常識が少なくとも今現在、2チャネラーにあてはまらないことは承知している。菅井は別の具体的な根拠をもって主張しているのだが、孤高さんは見落としたようである。それを再録すれば、以下のようである。

【 はてなキーワードで紹介されている「ブログとは」のページを読むと、
「ブログとは、コンテンツ自動作成機能のついた日記型ホームページ」、「トラックバックとは『リンクしました』のお知らせ機能」だとある。
 ボクは孤高さんにリンクをお願いしたことも、許可したこともない。
 「ブログとは」のページには、こう書いてある。
 《「トラックバック」を使うと「私のブログで、あなたの記事を紹介しました」ということを、先方のブログに「簡単に」伝えることができる。先方のブログでは、「トラックバックコーナー」で、「自分を紹介してくれたブログ」が自動的に一覧紹介されるというメリットがあります。その結果
 ◎自分のブログ 自分の記事で、相手のブログをリンクする
 ◎相手のブログ 相手の「トラックバック」のコーナーで、自分のブログがリンクされる
という状態になります。こうして、「相互リンク」が自動的に行われて、ブログ同士の連携が進むことになるのです。》
 なるほど、お互いに紹介しあう相互リンクをするのはよいことだ。連携も進むだろう。協力が進むことはよいことだ。
 だが、このトラックバックというしくみ、まず、勝手にリンクしてしまっておいて、事後通告してさらに、相手にも自分のページを紹介・リンクさせてしまうしくみだ。トラックバックを不表示にしない限り、こちらの紹介したい、したくないの意志にかかわらず、自動的にそうなってしまう。今度の場合のように、メリットなどない場合でも、そうなる。】
                     (以上、菅井日記 12/30より)

 だから、これは一方的なしくみで問題があることになるのだ。孤高さんは、この考察部分を全て無視して、そのあとにつづく、先ほどの部分だけを抜いているのである。それじゃ、まるで、ボクが《自分かってな「常識」》の持ち主みたいに見えちゃうじゃないか。紹介としてフェアじゃないな。
 大事な点は、これは、はてなキーワードで紹介されているページで、或る程度、トラックバックとは何かを知るに際して、信頼することのできるページだと考えられるということ、そのページでトラックバックとは相手のブログの「紹介」であることを繰返し述べていることだ。お互いに紹介しあうことによって連携が進む、それがトラックバックの意義なのだ。それ自身は、個人のホームページが今まで持っていたリンクコーナーの意義と変らないが、それをもっとやりやすくしたということなのだろう。だが、これは、相互に批判的であってもよいのだが、お互いがまともに相手を紹介しあうという前提がなければなりたたない。でなければ、連携にならず、単なるいやがらせである。
 トラックバックというのは、そういう前提がなりたたない場合のことが、システムに反映されていないしくみなのである。リンクや相互リンクが無条件によいことだと、見なされている。だから、勝手にリンクしてから、事後、リンクしたことを知らせ(トラックバックの送信)、しかも相手側からのリンクは本来の機能だと自動(自動トラックバック)で行われてしまう。いつのまにか、知らないページであっても、その宣伝をさせられてしまうしくみなのだ。
 これはおかしい。ページ主のこちらの主体性はなくなっている。トラックバックしたもの勝ちなのだ。いちいちトラックバックを削除すればいいというかもしれないが、なんでそんな面倒なことをこちらがする義理があるだろうか。
 自動トラックバックの利点の説明に、よく、こっちだけリンク貼ってて、向こうがリンク返してこないと不公平だと書いてある。こつちはせっせとお客を送り込んでやっているのに、相手方からはリンクを通じて、お客がやってこない。リンクし損だというのである。ボクは最初この議論を見た時、おかしいな、と思った。アクセスが増えることって、そんな大事かな。それより、一方的にリンクされて、ゆがんだ紹介されてしまうことの方が゜怖いと思った。事実、孤高さんのサイトはあれ以降もボクの日記をまともに紹介したことがない。批判があるとかないとかじゃないんだよな。
 こういう、きちんとした紹介でなく、連携がさっぱりすすまない場合がある以上は、こちらから、リンクをお断りして、止めてもらうという場合があるのは、筋の通った主張である。
 
  
 その3 原則は、
 『HTTP でアクセス可能な resource に対して anchor によりその識別子(URL)を指し示す際に、特段当該 URL の管理者(被リンク者)の許可を得る必要はありません。』
 だから、非リンク者からリンク削除の要請を受けたとき、
    1 リンクをはずす
    2 リンクするのはサイト管理者の勝手だからはずさない
のうち、2が原則的な、つまり正しい対応。

[菅井の考察]
 まず、ボクの先ほどの文章が読めていなかったからだが、何の理由も提示されず、孤高さんのリンク原則が書かれている。ボクは自説の根拠を述べているわけであるから、孤高さんも出すべきである。ボクとしては、これは2チャンネラーの《自分勝手な「常識」》なのではないか、という懸念を抱いております。(冗談半分ですが、半分は本気の懸念) 
 だが、それよりまえに、おかしいのは、ボクはトラックバックについて述べていて、その本質は「相手ページの紹介」であり、それらをする意義は、「お互いのページの連携の拡大」というメリットだということを典拠を示して主張しているのに、その本質論に対し、なんら自分の本質論を述べず、トラックバックという仕組みの問題点ではなく、リンク一般の原則論にすり替えていることである。

 あと、『HTTPでアクセス可能な』なんたらかんたらは、インターネットの普通の市民にわかる言葉ではありません。わかる言葉で述べるべきだ。専門用語を知ってると偉いとか思ってるのだったら、考え違いだし、これでいいと思っていたのなら反論相手に対する侮辱である。後述の、「public に available な resource」とかも同じ。もし、孤高さんが愛国者たりたいのなら直すことをお勧めする。ーーー老婆心まで。付け加えておく。


 その4 そうではあるが、運用者によっては、個別対応することもあり、そういうサイトが多い。孤高も、個別対応する。
 本ケース
  孤高サイトは
   1 菅井サイトに中傷、誹謗はしていない。批判をしているだけだ。その際、リンク先を指し示すのは当たり前。
[菅井の考察]
  菅井は、リンク先を指し示すことにも、ページの題名を記すことにも反対していない。TTP〜  とでも書けばよいではないか。直リンを止めることを要請しただけだ。孤高さんのサイトにも、現に、サイト名を記しただけで、直リンせずに記事を書いている時もある。

   2 要請に合理的説得力がない。批判的なサイトにリンクを貼ってはならないサイトにリンクをはってはならないサイトは「public に available な resource」として公開すべきではない。
 [菅井の考察]
  合理的うんぬん・・・これも断言で、根拠の説明がない。ここまでの説明で、十分合理的であると思いますよ。トラックバック(リンクも)とは、他のページの紹介なのであり、意義は、「相互の連携の拡大」なのである。紹介もまともにできず、連携など望むべくもない勝手なトラックバック(やリンク)に、止めてくれと要請することは当然のことである。
また、批判的的なサイトにリンクを貼ってはならないサイトは《public に available な resource として公開すべきではない》そうですが、まず、「批判的な」は違いますよ、批判的で相互の連携の可能なことは在りえます。ボクは孤高さんのページは、リンクの前提である、まともな紹介ページでなく、思想信条の自由の侵害に加担している有害サイトで、連携ができないサイトだから、リンクをお断りしているのです。また、菅井日記よりも、もっとはっきりと、「無断リンクお断り」を表明しているページはいくらでもある。そういうところは皆、《public に available な resource として公開すべきではない》というのですか? たとえば、フジテレビや靖国神社はそうですが、フジテレビのホームページや靖国神社のホームページは《public に available な resource として公開すべきではない》わけですか? こういうのを排除の論理といいます。自分の気に入らない者は、出て行け、というわけです。

   3 孤高サイトは、「ネタの監視」が内容であり、ネタ先に勝手に直接リンクするのは当然。リンクをはずすように要請する行為自身が「サイト運営の自由の侵害」にあたり、表現の自由に対する言論弾圧である。

[菅井の考察]
 内容がそうであれば、「ネタ」がどこにあるかは示す必要があるのは認めますが、検索エンジンの発達している今、サイト名を記す、アドレスを書くでも十分です。孤高サイトがつぶれることはありませんよ。直リンは必須ではありません。「サイト運営の自由の侵害」にあたりませんよ。だいたい、紹介するサイトを「ネタ」などと侮蔑的に呼ぶをちサイトに、インターネットに存在する資格があるか、はなはだ疑問です。表現の自由というのは、人の言葉のコピーばかりでできていて、自分と違った意見が出てくるのを目をこらしてさがして、でてきたらその芽をつぶすことに汲々となるようなもののためにある言葉ではなく、自前で、手と足と頭を使って、自分の考えをつくっていく人のためにある言葉です。平和なんか幻想だとしたり顔で人を叩くのではなく、そういう中でも一生懸命に生き、よりよく諸民が生きていけるようになるように悪戦苦闘する者のことを言うのだ。


その5
以上の理由により、当該要請は却下
 さらに、「リンクを外せなどというのは本ブログの表現の自由を侵害する言論弾圧ニダ!検閲ニダ!」と謝罪と賠償を要求
[菅井の考察]
以上の考察により、当該要請却下は不当です。リンクをはずせと要請するのが、言論弾圧なら、フジテレビや靖国神社はもっと言論弾圧ですね。あんた、フクダユウイチさんにちゃんとあやまれよ。サイトなくした損害賠償しろよ。さらに、「検閲ニダ」の「ニダ」は朝鮮民族に対する差別だろ。孤高さん、あんた、まごうことなき、「民族差別主義者」じゃねーか。


その6(付け加え)
  ただし、次のような場合には要請を受け入れて当然はずす。
『被リンク者のサイトが、もともとアクセスも少なく日々の日常を淡々と描くだけ and/or仲間内だけでひっそりとやっているようなサイトで、かつリンク者(ここ)が一日1万view もあるような超大手サイトでかつ取り扱う内容に偏向がある場合(mumur 氏のとことか)。
そういった状況でいきなりリンク貼られてワケワカなコメンターが大挙してなんじゃコリャーってんで外しておくり〜って言われたら、外します。ここは全然大手サイトではありませんが(一日1,000v が精一杯)、リンク先の言動に問題/責任がなく、迷惑がかかるような場合であれば、外します。』
 [菅井の考察]
 よい姿勢です。ただし、1万ならいけないが、1千なら悪くないだろうというのは心得違いです。ぜひ、この方針でやっていただきたい。違うというのは、南京大虐殺が30万じゃなくて、10万くらいだろうから、悪くない、という詭弁と同じです。孤高さんのサイトは数をのぞけば、すべてこの記述に該当しています。ちなみに、菅井日記は一日100Vに多分遠く及びません。Karenさんのブログ荒すのに数百あれば十分すぎるの、わかってるだろうが。

 孤高さんの拒否理由に対する菅井の考察は以上です。ごらんになった人は、各自判断なさってください。私は、彼のページを紹介する気は一切ありませんが、ネットで、孤高で検索すれば、わかります。もし孤高さんのの意見の私の紹介が妥当であるか、検討なさりたい人はそうしてください。

(追記)複数の点を書きわすれていました。
  菅井は、自分の菅井良日記(ブログではありません。ただのホームページです。ブログ的道具立ては基本的に使っていません。)
  において、もちろん、南京大虐殺はあったと主張、あるいは肯定の立場を表明しています。現在、真相究明中です。
  嫌中・韓・朝のやからが、「ニダ」というたびに、「朝鮮民族に対する民族差別主義者」じゃねえか、と正しいレッテルを貼り、
 フクダユウイチさんやKarenさんやたーさんなどの若くて、ネット右翼の害悪をはっきり自覚している平和主義者(菅井をなら、まあともかく、彼らをサヨクと呼ぶのは、サヨクも平和主義も何もわかっていない証拠)のサイトを支持、またそれらに対する、きちんとした言論による批判的意見の表明ではまったくない、「祭り」、「炎上」などと称しての数をたのんでの当該サイトへのコメント欄攻撃、特攻、トラックバックの悪用による攻撃など、言葉を利用した暴力を「言論の自由の破壊行為」と批判して、正しく日本語を使い、
 日本が400年前に成し遂げ、守り育ててきた平和主義の民族伝統にしっかりと立って、「典型的お花畑ブサヨク」という、差別言辞を受けつつ、日本人が世界の中で尊敬されて生きていける道を探求している。もちろん、探求だけでなく、それを妨げる歪んだ物の見方を正すべく、批判活動もささやかに展開している。
そういう行動をインターネットでやっていますから、他の人間が、ボクがやっていると同様に、自分のホームべージで菅井の批判をしても、賛同しても。菅井よりよい考えを作り出しても、当然と考えています。若い人々が年よりの菅井よりよい在り方を探し当てられるというのは当然なのですから。
菅井の主張のどこをみても、「オマエはボクのことを悪くゆうからリンク貼るなよ!」とはいっていませんよ。よく言おうが、悪くいおうが、トラックバックすること(リンク)は「紹介」であり、それを通して連携をつよめていくことです。そういうつながりを菅井は求めます。そうでないのは、トラックバックの本質に反しますから、直リンを止めることを要請するにのは当然ですし、それを受け入れるのは、インターネットするものの当然のマナーです。ボクはゴキブリは尊敬していますよ。体一つで一生懸命生きている。しかも、人類よりも、もちろん天皇制よりもはるかに古く、億年を生き延びてきた生物の大先輩ですからね。そのゴキブリには及びもしませんが、なぞらえられて光栄です。

菅井は今のところ、孤高さんに、菅井サイトへの直リンをやめるように要請する以外は何も要求しない。願わくは、孤高さんがボクのこれだけの時間と労力をさくに足るだけの人物であってほしいということだけだ。