「平和主義」について

始めにご報告です。

 1 ぜぽさんのページを紹介した10日の日記にのせていたアドレスを削除させていただきました。
 2 「をち」について、「おち」と誤記していたところを過去日記にさかのぼって直しました。


いずれも.昨日のぜぽさんへの謝罪に関連した措置です。

  1は、ぜぽさんが、「リンクしただけで、トラックバックはしていなかった、はてなのシステムでそう判断されただけ」の旨、御自身の日記で書かれていました。リンクしただけで、トラックバックが送信されたことになることがあることは知りませんでした。とにかく、相互リンクをしてくださいということではなかったようです。菅井からはぜぽさんからのリンクをはずしてほしいという要請をしていませんが、ぜぽさんがすでに「平和主義良心的市民日記」内の菅井日記への直リンを御自分で止めておられますので、ぜぽさんの日記内での菅井日記の紹介のレベルに合わせる意味で、アドレス掲載をひかえさせていただくことにしました。
  2は、菅井は、この間、「をち」という言葉に触れ、特殊2チャンネル用語だと推測し、あるとき、英語のwatchから来ているのかもしれないと思いましたが、今まで、確認できなかったのですが、日記内で確認していだきました。ぜぽさんの御教授に従い、「おち」と書いていた誤記を訂正させていただきました。ぜぽさんに感謝します。

 また、菅井が問題にしている荒し、祭り、炎上等のホームページ破壊行為を支持しない旨表明していただいたことに敬意を表します。
 
                          菅井 良

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今日の本題に入ります。


       「平和主義」について


 「平和主義」ということについて少し考えてみたい、
 それは、たとえば、こんなことを含んでいるのだと思っている。

 菅井が時々読まさせてもらっている有名サイトに、「増田俊男の世界!」というところがある。人の言葉のコピーではなく、自分の頭で考えて発言するという点では、大変すぐれた方である。菅井など遠く及ばない。もちろん、菅井とは思想も立場も違う。皆さんも、読むと勉強になること大であるので、ご存知なければぜひお勧めする。自分の考えと違うと、もう、すぐ論破しようとばかりしてしまいがちな未熟な若者たちには、修業になりますよ。(特定方向にだけ言っているのではありません。菅井もまた、若いころはそうでしたから)


       「増田俊男の世界」        http://www.chokugen.com/


興味をもった方はぜひご覧ください。

 その1月5日付け「時事直言」に「文化度が高い日本」という論文がのっている。

増田さんはこんなことをいう。
《私は「文化度」という言葉をよく使い、「私たちの日本は世界で最も文化度が高い国だ」と言ってきた。一言で言えば「日本は大人の国」ということである。それはまた、人心が安定していて、滅多なことでは国家が騒乱状態にならない国のことでもある。》

 菅井は、日本は中国やアメリカのような「大国」ではないと認識しているが、この意見には賛成なのである。

 増田さんが日本の「文化度の高さ」の証明としてあげているのは、昨今の、《小泉靖国神社「公式(?)」参拝》に対する中国諸民の反対運動と日本の反応の比較なのであるが、これも、一理あると思った。

《いま中国や韓国で小泉首相の顔が印刷された旗に赤インクで「鬼」と書いて燃やすなど、反日運動が盛んである。そして、その都度日本は謝罪を繰り返している。実は日本もかつては中国人や朝鮮人を差別したり、アメリカやイギリス人を鬼畜米英と呼んだ時代があった。いま中韓が日本に対して行っているのと同じことを日本もしていたのである。
 ところが、今の日本人は中韓反日運動に対して両国の元首の写真を燃やす発想すらなくなっている。過激な反日運動を容認したり、反日感情を煽るために歴史捏造までする両国は、かつてのわが国の軍部と同じである。現在の日本人に同じことを繰り返す発想すらないことは、もはや日本には歴史捏造や、他国に対する敵愾心を煽るなどして人心を統一する必要がなくなっている証拠である。》

 菅井は「中韓が日本に対して行っていることと、かつての大日本帝国が中・朝・米・英
に対して行ったことが同じ」というのは、言いすぎだと思うし、「反日感情を煽るために歴史捏造までする」にも同意しないが、ここでは、それを問題にする気はない。中国の「反日」行動の形態と、日本のそれに対する反発を比較する限りでは、確かにそうだと思うからである。

 中国では、かなり物理的に「暴力的」になった。中国政府や、リーダーやメディアが一生懸命鎮静に努めなければ、収まらなかった。日本の反発者は、言葉の上では、負けず劣らず、場合によってはそれ以上に「暴力的」であって、言葉やインターネットの中では、それほど「文化度」を誇れるものではないけれど、物理的(リアル、現実世界での行動)においては、基本的に「暴力的」ではなかった。 中国国家主席の写真を燃やしたり、五星紅旗を燃やしたり、中国大使館にトマトをなげたり、とかの事実もないし、横浜中華街が被害にあったという話もきかない。菅井が耳にしていない、多少の個人的行動があったとしても、リアルの行動において、日本側は、中国側と違って、「暴力的」ではないのである。

 この違いは大きい。菅井が、このホームページで、強く批判している、平和主義サイトに荒しを行い、インターネットにおいて、個人の思想信条の自由を侵害している「2チャネラーネット右翼」の諸君も、物理的現実行動(リアル)においては、自制のとれた、大人の行動をしているということなのである。言い換えると、物理的現実行動(リアル)の上では、そういう人も、菅井や、フクダユウイチさんや、Karenさんや、たーさんと同じく「平和主義者」なのである。

 上記「2チャネラーネット右翼」の諸君の、特に若い高校生とか純真な人の中には、インターネットの中と、現実は別でないのであって、そのうち、実行動でも、「特攻」してやろうと思い描いている人もいるかもしれない。それは、自分の意志次第なのだと思っているかもしれない。過去にも、日本の右翼・左翼を問わず、そう考える若者はいた。多少の実行者が出たことも確かであり、それが、日本の運命を全く左右しなかったわけでもない。だが、皇道派ファシストの蜂起と鎮圧をきっかけとした大東亜戦争軍国主義時代を唯一の例外とすれば、日本は実現実では、総じて、「人心が安定していて、国家が騒乱状態にならない国」、「文化度の高い国」、であったという、増田さんの指摘はまちがっていないと思うのだ。
 
 それは、個人の意志の問題ではなく、ちゃんと理由があって、日本の社会そのもののが「大人」になっているからだと増田さんは主張している。日本社会は「文化度が高い」のだ。菅井も同意である。そして、そういう日本の日本人であることを菅井は誇りに思っている。

 その理由とは何だろうか? そこではじめて、増田さんの認識は菅井の見解とは違ってくるのだが、ここは菅井の考えを述べるページなので、その部分の増田さんの考えはあえて御紹介しません。ネット右翼の諸君にはむしろ、共感できる見解かもしれない。興味がある方は、検索して、5日のその記事だけでも読んでみるといいでしょう。そして、菅井がやっているように、自分で考えてみることをお勧めします。菅井よりよい考えがわかったら、御自身のホームページで発表してください。間違えることは恥ではない。直せばいい。実現実での間違いとは違い、取り返しのつかない、ということはないのですから。

 長くなると、読んでもらえない可能性も大きいので、肝心の、理由についての菅井の考えは、次回改めて書きます。