オランダ正月

 オランダ正月

 オランダ正月というものがある。幕末の蘭学者たちが、自分たちの西洋科学文明へのあこがれをこめて、ヨーロッパの暦での新年を祝ったこと、それがオランダ正月と言われる。何のことはない。今一般に行われている西欧暦のお正月のことである。
 彼らは、長崎という唯一の外国との交易場所を通して輸入される書物によって西欧文明を理解するしかなかった。オランダ正月には、ナイフとフォークによる洋式の会食もされた。それに招かれた難破し、ヨーロッパで長く暮らしてもどってきた水夫は、一度出たきりで、2度と参加しなかったという。洋食と本場フランス料理のちがいのようなもので、本物を知っている者には、とうてい本物とはいえないような、代物だったのかもしれない。オランダ正月は、あこがれと想像が生み出した蘭学者たちが自分たちの生き方を固める儀式だったのだろう。蛮社の獄に見られるような、蘭学にたいする弾圧があり、西洋学問は、決して幕府のもとでは、公認されることはなかった。その学問をやること自体が反体制であるような時代だったのだ。
 そののち、オランダ正月は、明治維新政府が西欧暦を採用することによって、日本の正月になっていく。文明開化である。だが、「オランダ」と冠したような、その独特のニュアンスは失われる。ただ、暦をヨーロッパに合わせ、東アジア標準の陰暦と十干十二支を捨てていく(脱亜入欧)という以上の意味はなくなる。
 ボクは西洋暦の正月に強く違和感をいだいてきたが、オランダ正月という言葉には何か、魅力的なものを感じてしまう。不思議なことである。