愛国心

 日本人の愛国心の、排外主義的な性質は、以前から外国人にとっては自明のことだった。が、日本人の中では、それは自覚されていない。他国、とりわけ中国や朝鮮に対する侮蔑意識は日本の近代に骨がらみであり、今の2チャネラーネット右翼諸君の嫌韓、嫌中もその現れにすぎないのだが、そのことは自覚されていない。「愛国心」は日本においては、無条件に正しいとされているのである。
 だが、ここから議論の混乱は発している。日本において、「愛国心」を無条件によしとし、それを教えるなどということは、正しくない、つまり、もっとも「非愛国的」な行為なのである。
それがあたりまえのように、政治の世界でとおっている。
 日本人のこの混乱は、「愛国心」と、郷土愛や日本のすぐれた文化に対する誇りとが混同されていることから、生じている。
 なぜなら、日本の「愛国心」は尊皇攘夷思想だからである。そして、それは、今日では、権威主義と排外主義以外のものではなくなっている。
 日本人に必要な愛国心教育とは、日本では、歴史的に愛国心がどのようなものであったかを正確に教えると同時に、その愛国心の危険性を教えることでなければならない。
 民主主義国とは参加している国民が主人公となってつくりあげる国のことであり、万人の平等な基本的人権の保証をその根幹としている。日本人の「愛国心」=尊皇攘夷思想は、それとは正反対である。
 民主国日本において、愛国心教育を声高に主張するなど、根本的な矛盾であると言わねばならない。