パンフレットを読む ネグリ

1月2日

 ネグリというイタリア人の「未来への帰還ーポスト資本主義への道ー(原題 「亡命」)」という小冊子を読んだ。一時期、ドゥルーズガタリなんかと一緒に名前はよく聞いて、大学の先生ということもあって、むずかしい現代思想の人というイメージがあり、読む機会がなかった。「帝国」という大著が出たときも、読むことはなかった。接点がなかったのだ。それが、ひょんなことから興味が出て、本屋で手にとったのがこの本。薄かったし、値段も手頃だった。前にめくった「帝国」という分厚い本から受けた硬い印象はあまりなかった。そのはずで、もとはビデオドキュメンタリーの中でしゃべったことを文字にしたのであった。
 極左過激派として自国で有罪判決を受け、長らくフランスに亡命していたネグリが、数年前、収監覚悟で祖国に帰る決意をしてもどった時のものだ。彼の当時の現状認識や、もどるつもりになった理由、世界観、人生観などがコンパクトにのべられている。70歳以上の高齢の大学教授であり、用語はわかりにくいものも多いが、読みにくくはない。
 一読して、現在裁判中の重信房子さんの帰国はネグリのこれに触発されたものなのでは、と感じた。足立正生さんらも帰国したわけだが、アラブ日本赤軍グループにはネグりがその中心にいたイタリア自律運動との共感があるのだろうか。
 もどり、逮捕、入獄すること自体が、イタリアの政治状況に対する影響をもつとネグリは考えている。国会議員にまでなり、起訴の中の暗殺関与などの部分についてはすでに無罪判決を受けている、基本的には政治亡命者であったネグリと、パレスチナ解放運動に日本人のグループとして参加した、基本的には国際義勇兵と見なすべき重信さんらとは同じではないだろう。だが、国家からテロリストとみなされながら、内ゲバや党内粛清、権力掌握後の権力行使のしかたの誤りという、多くの共産主義者が犯した過ちをしていない、という点では、道義的に清廉な唯一の左翼グループということを共通点としてあげることができる。
 ネグリの考えていることで面白いと思ったことは、高度資本主義になった現状での生産は、すでに賃労働者自身の自己組織になっており、資本家、経営者も国家もその基本的な役割は自己組織の自由で多産な欲望の展開を妨げているだけだという見方。それに、社会における生産、再生産のしくみはもう見通せるようになっており、中に、精神的生産(教育とか認識とか)や、種の生産(出産、子育て)や、意欲・動機の生産も含まれる、それをネグリは、生産手段の私的所有は意味をなさなくなってきている、一番大きな生産手段は、各個人の精神的能力になりつつあるというような言葉で語る。
 大知識人(ネグり自身もまだそこに片足つっこんでいると自覚しているように読める)の終焉を当然のこととし、新しい大衆の時代を、知識をもち、言葉をもつ大衆であるという点が前世紀前半の大衆社会論の時とは違うと考える点は共鳴する。「知識人」に代わって、ネグりは「活動家」(菅井なら、「小知識人」とでも呼ぶところだが)の役割が重要だとする。この活動家は政治や労働組合市民運動の活動家のイメージからネグりが発想しているからかと思うが、あらゆる場所で生産を刺激し、促進し、発生させる触媒を果たす人々である。もちろん、ここでいう生産は、ネグリ流にあらゆる精神的、物質的人間活動を含んでいる。
 社会のいたるところにあって、そこでのその場所の生命を躍動させ、エネルギーの高まりを引き起こし、活性化させる人々のことである。そして人々の心と体に火をつける人々のことである。
 ネグリの眼には、そうした「活動家」たちが実際に働いている様が映っているのだと思う。