若い時期に熱中した本

 1月3日

 菅井が修業時代(昔はそういう言葉もあった)、真剣に読んだのは、レーニン廣松渉という人の本だ。
 ジェームズという人のプラグマティズムから出発した菅井にとっては、レーニン(「唯物論と経験批判論」という論争書)の「意識から独立な客観的実在を承認するか否かが、唯物論(哲学的)と観念論(哲学的)を分ける唯一の基準である」という命題は何を言っているのか、意味不明の命題だった。なぜこの人はこんなことを確信をもって断言するのだろうか。その「客観的実在がある」ってのは、どうやって証明されるんだろうか? そもそも、そんな議論が、生きることにとってどんな意義があるのだろう。疑問は渦巻いていた。
 それにある意味からいうと、真っ正面から答えていたのが、当時、左翼の理論探求者として
もてはやされていた廣松渉という人だった。彼は、哲学的なことから、現代の政治戦略まで、自分の頭で考えて書いていた。よくいる、教科書や教典の解説者タイプとはまったく違っていた。しかも、過去の議論をわかりやすく整理して、その上で自分の課題をはっきりと書いて、それから論じてくれた。「現代の眼」という雑誌があって、それに長期連載をしていたのだが、次にどんなことを言ってくれるのだろうとわくわくした。文章は晦渋で、漢語が多出して、簡単にわからなかったが、修業中の身だから、わからなくても、著者のせいにはしないので、繰り返し読んだ。ここには、他のどこにもまだ書かれていない、今現在進行形の思想があると、思った。
 廣松氏は、唯物論については、はじめから、レーニンの論敵、マッハやボクダーノフの方が正しいという立場に立っていたが、一方的な断罪ではなく、双方の理論をきちんと紹介していたし、双方の批判も取り上げられていた。整理はわかりやすかった。
 この議論の科学史の文脈での意味はどうなっているのか、哲学と科学はどうちがうのかなど、廣松氏の文章を読んではじめて考えるようになったことはたくさんある。
 初期の本は出るとすぐ買った。「エンゲルス論」「マルクス主義の地平」「マルクス主義の理路」「現代自然科学の危機と唯物論」「資本論の哲学」など。
 
 次第に、廣松氏の論旨展開も進み、だいたいの輪郭が見えたこと、廣松氏が東京大学のエリート学科、教養学科に就職し、人生的には革命家ではなく、勝ち組研究者・教師として生きて行くことがはっきりしたこと、アカデミックな理論書の公刊が中心になっていくことなどで、菅井の高校時代からの廣松氏への熱はしだいにさめて行った。

 そして、菅井も、廣松氏とはまったく反対の結論、哲学的レーニン派、唯物論の立場にいろいろあったが、移行することになる。

 論争は、通例相手を論破するためにやられることが多い。だが、それは立場について話しているだけである。本来の議論は、双方が双方の立場についてではなく、問題になっている対象について理解探求する時に深まるものである。菅井は比較的早い時期に、そうしたことをレーニンや廣松氏の文章を通じて学べたことは幸せであった。

 今、ネットで初めて考えを練りはじめた人々も、やがてそういうことを学ぶだろう。