自衛隊の諜報活動はあってはならない

 自衛隊に「情報保全隊」があって、諜報活動をしていることが報じられている。このことについて、きのうの、戯言日記さんの整理に同感する。菅井も自分なりに述べてみる。


 久間防衛庁長官は、自衛隊による市民運動に対する諜報活動、情報収集、写真撮影記録をかまわないことだと言い放った。もはや、政府は、憲法も、日本国の立国の精神も分からない政治家ばかりになっているということだ。彼らの顔は国民にむいておらず、国民は彼らの支配の対象にすぎないのだろう。

 自衛隊が、自分だけの意志で、一人歩きして、治安出動、憲兵体制のためでしかあり得ない情報活動をしているわけで、これは危険事態である。


久間長官は
 <<「自衛隊の行動について、賛成、反対の場合は。情報を集めて分析することは悪いことではない」と強調、「年金改悪反対」や「消費税増税反対」など自衛隊の活動とは無関係な分野の情報を集めていた点についても「公開の場に出かけて、事実として把握するだけの話。踏み込んだということにならない」との考えを示した>>とのこと。

 シビリアンコントロールというコトバが在る。憲法66条2項に規定されているように、自衛隊の長官を含め大臣は、文民でなければならないということだ。軍隊が一人歩きして、自身の政治的傾向をもつことは、戦前のような軍部政治を産むことになるということで、自衛のための軍隊を日本が将来もつのでは、と怖れた極東委員会(アメリカではない、その上の連合国会議・特に英露)が強く主張して取り入れられたものだ。そういう意味で、押しつけられたものである。だが、自民党改憲案ではこれはそのままである。押し付けられたことはそのままにしておいて、日本人の自主的なものが入ったものは、九条を含めて変えようといっている。おかしなことだ。

 とはいえ、このシビリアンコントロールの基準に照らして、自衛隊がやっているこの独自の諜報活動は大変危険なものだ。戦前だって、旧憲法回帰論者の多くもいっているように、立憲的、議会尊重のしくみはあったのだ。ただ、軍隊は、統帥権天皇にあり、シビリアンコントロールの規定がないことをいいことに、そうした議会政治、民主主義的慣行、しくみを無視、勝手に暴走し、侵略に走り、天皇に事後承諾させたのだ。

 自衛隊の任務が防衛と、災害救助にあるのなら、災害の分析とかは必要だろう。だが、諜報活動はいらない。それは、治安出動、戒厳令などのためにしかならないからである。公開の場に出かけて事実として把握するといっても、お祭りの混雑や、右翼の集会に出かけているのではない。
 民主主義の体制にあって、現在の自民党内閣の施策に反対したり抗議したりするものを探っているのであるが、そのような政策は、民主主義社会にあっては、選挙によって入れ替わりうるものなので、自衛隊は、そのような国家内の意見の対立に介入してはならないのである。
 考えても見よ、大きな政治上の見解の対立があったら、自民党の側に立って自衛隊が出てくるなどということになったら、理性的な政治闘争は不可能である。反政府派は、声を上げることができなくなる。
 それは、すでにこのあいだ、沖縄の辺野古自衛隊が出たことで始まっているが、まったくおかしなことである。


 自衛隊は、最初警察予備隊と呼ばれた。国防ではなく、国内治安のためという建前で、アメリカによって日本につくる事を強制されたものである。日本側は誰一人として、今日の自衛隊のような軍隊に見まがうようなものとは想像してなかった。だが、アメリカがよこしたものは、警察力の装備ではなく、戦車だの大砲だの、まったくの軍隊の装備だった。それを観て、日本側は、どうやら占領軍は日本に軍隊を持たせたいらしい、警察とはいうが、中味は軍隊なのだ、とようやく知ったのである。
 この欺瞞的なアメリカによる軍備押し付けに屈した時点で、支配者には自衛隊を治安出動させ、反戦運動、権利の運動、生活の運動を弾圧することが脳に焼き付いたのであろう。実際、1960年の安保反対闘争の時には、岸政権は自衛隊を国民のデモにぶつけようとした。時の防衛長官が、シビリアンコントロールをきちんと行使できる人物で、クビを掛けて。国民弾圧に自衛隊をつかってはならない、と反対したから、そういうことはおこらなかっただけである。それに対し、現長官・久間氏は辺野古への出動にストップをかけなかった。

 現在、久間長官のコトバからは、自衛隊が民主社会にあって、まもらなければ成らない自己抑制の自覚は少しも感じられない。彼らは、やって何が悪いという。あたかも、やっているのが、武力を独占している巨大組織自衛隊ではなく、普通の一人の市民が写真を撮っているかのように、あるいは報道を使命とするマスコミと同じであるかのように、強弁しているのだ。

 久間長官や安倍首相の頭の中では、たぶん、自衛隊は自分達に反対する国民を力でねじ伏せる道具なのである。
 彼らの本音は、治安出動のために必要な知識を蓄えるための諜報活動だから、やって当たり前と考えているのである。そう言明するだけの勇気のない彼らは、それをごまかして、あいまいな答弁に終始しているのだ。どうせ分かるまいとたかをくくって、特定の誰かを狙い撃ちしたものではない、などとウソをついているのだ。
 しかし、それは民主主義の考え方ではなく、問答無用の専制体制のものであり、大変危険である。

 このような、国民のための政治ができない政治家たちの政府を一刻もはやくかえなければならない。
 アメリカに対しては、気に入らなくても従うことができるのに、日本人が本当に心配していることは、平気で無視してしまう。そもそも感じる感覚がない。ネットには安倍内閣に改心を期待し、おやめになったらと書かれている人もいるが、私は、彼らは引きずりおろされない限り、自分から辞めることはないと思っている。だから、選挙によって引きずりおろす必要があるのである。