世界規模のベーシック・インカム     齋藤 拓 200403

はじめに――ユニバーサリズム


 最近、西ヨーロッパの各国においてベーシックインカムを導入すべきとの声が高まっていることはご承知のとおりであろう。ベーシックインカムとは、その国のすべての成人に対して何らかの水準の給付を一律に、無条件に支給しようという制度であり、給付の方法、給付の水準、ファイナンスの方法、などをめぐってさまざまなバリアントはあるものの、多くの経済学者が検討に値するものとして注目している。

 さて、このようなベーシックインカムは、社会保障の用語で言うところの「ユニバーサル=普遍給付」の最たるものであろう。しかし、ベーシックインカムが実現したとしても、それは国民国家、特に裕福な上に社会権の思想がある程度共有されている先進諸国家(すなわち西欧であり、アメリカは違う)において「正当な」社会の成員であると認められている人間に対してのみ与えられる権利である。その意味ではベーシックインカムは決して「ユニバーサル=全世界的」ではない。

 ベーシックインカムは、一見すると、「絶対的な」貧困や生存そのものを深刻に考える必要がないほどに裕福になった社会であるからこそ云々できるもののように思える。しかし、西欧諸国においてベーシックインカムが議論されていながら、ほとんど実現の見通しが立たないのは、まさにその国々が裕福だからだという逆説がある。つまり、それらの社会に住む「普通の」人間であれば「見苦しくない生存」にとって十分なだけを労働市場で稼ぐことができるし、そうでない人間は生活保護(扶助)という最後の砦がある。「相対的」貧困が問題とされる国々において、「ベーシック」の保障などいまさら再論の必要などないのだ、というわけである。逆に、南アフリカのような貧困者がマジョリティを占める国でベーシックインカムが現実味を帯びてきている(1)。A・ネグリが「帝国」においてマルチチュードの三つの要求の中の二番目に「最低限の所得保障」を掲げたのは、「国民」という現代社会における最も包括的なカテゴリーからさえこぼれ落ちてしまうような移民、難民、不法移住者など、真の意味で「ベーシック」を保障されねばならない人々を見ていたからであろう(2)。「ベーシック」インカムは後進国においての方が切実な関心の対象であるし,必要とされてもいるのだ。

 ベーシックインカムがそのユニバーサリティを「全世界規模」という意味で捉えねばならない理由のもうひとつとして、政治的なフィージビリティ(実行可能性)の問題がある。ベーシックインカムが財政的に実行可能であるとしても、それは政治的には絶対に実行不可能であると指摘される。先進国においてベーシックインカムは多数派の賛同を得られない、という点も政治的フィージビリティの問題であるが、グローバリゼーションの文脈でベーシックインカムの政治的フィージビリティが問題となるのはキャピタルフライトと国境管理について語られる場合である。一国レベルでのベーシックインカムの導入は、個人所得税でまかなうにせよ、富裕税などでまかなうにせよ、金持ちの海外逃亡と貧乏移民の大量流入をまねくとされる。世界規模の政治的意思決定機関を欠いた現在の国家間体制では各国が互いに牽制しあってベーシックインカムの導入には至らない、という結論になる。特に政策決定者が「合理的」であればあるほど、囚人のジレンマ状況は避けられないというのだ。これは、現在のグローバリゼーションと呼ばれる、国家という生産拠点同士の競争激化状況において各国が社会保障の水準を切り下げ,法人税・個人所得税の最高水準の引き下げ、規制緩和などを行っていることを見れば妥当な懸念であるといえるだろう。

 この問題はベーシックインカムの擁護者たちの間でもかなりの関心を集めていて、まず先進諸国でベーシックインカムを導入し、後進各国にも倣わせてゆくか,まず世界規模で広く薄いベーシックインカムを立ち上げて徐々に水準を高めてゆくか、という二つの戦略が拮抗している。ベーシックインカムの擁護者たちはベーシックインカムの財政的フィージビリティについてはかなり楽観的であり、それが実行されても個人へのディスインセンティブ効果はベーシックインカム反対論者が懸念するほどではなく、マクロ経済への影響もあまりないと見ている。そして現行福祉国家の抱える問題の大部分――貧困の罠、失業の罠、スティグマタイゼーション、パターナリズム、家父長制的家族像の再生産、膨大で無駄な行政コストなど――が解消されると見ており、「議論の段階は終わった、とにかく実行してみろ」というのが今の彼らの気持ちである。それゆえ、ベーシックインカムをどのように実行に移すかについては、どのような方向性が「現実的」であるかが問題であって、どのような方向性が「望ましいか」は二の次であるといってもよい。国家レベルでのベーシックインカムという「現実主義」よりも、世界規模のベーシックインカムというユニバーサリズムの夢物語のほうが――水準はきわめて低いとしても――現実的ではないかとさえ思える状況があるならば、まずはそちらからはじめてみることにも大きな異論はおこらないであろう。ただし、あまり低すぎるベーシックインカムを拙速に導入しても、その効果の薄さに人々の失望を誘い、ベーシックインカムが愚策の代名詞となってしまい、それ以後一顧だにされなくなってしまうような事態を懸念する向きもある。これについては、わが国で数年前に出された公明党の「地域振興券」などが物笑いのタネになっていることを考えれば、故なしとはしえない懸念であろう。