断想

戦争は現実の延長である。現実でいじめられていたものは、戦場でもいじめられる。現実で特権を持っていた者は戦場でも特権を有している。いじめられ、かばわれないものは、当然戦場で死んでしまう。あとで告発する可能性さえ奪われる。いくつかの戦記を読んだが、そこに書かれていたことはそういうことだった。
戦争は秩序の延長、その極端になったものではありえても、秩序をひっくり返しはしない。
何かの転倒が起こるとすると、それは、戦争で負けたときである。他国の占領のもととはいえ、いばっていた連中はもはや大きな顔はできない。戦争で焼け野原になれば、特権者たちのもっていた特権も多くは機能せず、ほどこしをして優位を保つ能力さえなくなる。そのすきまをくぐっていろんなものが伸びて行く。焼け跡闇市の自由の中にはそうしたものがあった。革命だって起こりかねなかったのだ。
だが、いくつかの記録や文学を読むと、そうした中でも、旧支配層が戦後もまったく行動パターンをかえぬまま、戦後の米軍支配下の支配層になっていくのを知ることができる。彼らの多くは、その行動パターンをそのままにして、軍国主義下の官僚から民主日本の官僚に何の断絶もなくなっている。
戦時下の革新官僚、岸が戦後、アメリカの忠実な僕として、戦後の日本を方向づけしたのもその一つだ。
秩序の転倒はいったいどこにあるのか