「青いノート」

みらどしそみら
/:100 o5eao6co5bgea1r1 :/

 私がずっと以前、レーニンという運動家に傾倒するようになったきっかけとなった一冊の本がある。それがたまたまた出て来た。「青いノート」と題された小説で、旧ソ連の作家の書いたものだ。その本の訳者解説によれば、彼はコルホーズなど、いくつかの施設で働いたのち、第二次世界大戦に従軍し、戦後、共産党に入党、作家として多くの戦争文学を書き、1960年になってこの小説を書いた。そしてまもなく死去、となっている。
 この小説で描かれるのは、1917年の二月革命十月革命の間、ロシア国内に変装して潜伏するレーニンだ。その期間彼は、「国家と革命」という名前で知られることになる一冊の本を執筆することに集中する。「青いノート」とは、その草稿を記したノートのことだ。二月革命が起こり、帝政が倒れソビエト(労働者や農民の議会)とブルジョア政府が併存した時、レーニンは、「ソビエトへの権力一元化」「武装蜂起とプロレタリアートによる権力の奪取」をただ一人決然とよびかけ、自分の党派の同志の大半から無謀であると反対された。だが、彼は折れることなく、自己の方針を訴え続け、その為に必要な国家の基本理論を探求していた。そういう時期のレーニンが主人公である。
 レーニンの隠れ屋には、いろいろな人々が訪れ、協力し、対話する。

 古参の同志、ジノビエフもその一人である。彼は、レーニンの方針に反対であり、意を決して、それを訴える機会を待っていた。


ジノビエフは、腹を割ってレーニンと話し、きわめて重大な結果をはらむ無謀な歩みを阻止すべき時がきた、と感じた。だが、それを、できるだけ落ち着いてやらなければならなかった。うっかり、自分の困惑した気持ちを外へあらわしてはならなかった。
 彼は立ち上がると、笑いながら言った。
 「あなたはほんとうに、あなたが近く首相になるだろう、といった同志ラシェビチの意見に賛成なんですかね?」
 「首相?」レーニンはおどろいて聞き返した。だが、すぐに思い出して、はっはっと声をあげて笑った。「ああ・・・。もちろん、賛成だとも! 確信している」
 「ほう、ほう・・・。しかし、未来のプロレタリア国家についての著述に没頭されるあまり、現実のロシアの国家でおこなわれていることを見失われるのではないかと、それが心配ですね。」
 「きみは、ほんとにそんなことを思っているのかね?」レーニンの目がくもった。
 「こんなこと言いたくはなかったんですが・・・。」
 「なぜ? 言いたまえよ・・・。どうもきみは、このごろ、口数が少なくなったように見受けるが。」
 「あなたが、あんまりそのパンフレットにうちこんでおられたもんだから。それに、だいたい、あなたのほうも、ぼくに話しかけられなくなりましたしね。あなたは、ペテルスブルグからだれかが来たときだけ活気づかれる・・・。もしかしたらあなたは、この無人島でぼくと鼻をつきあわせているのが、いやになったのじゃないでしょうね? ロビンソンクルーソーがときどきフライデーをいやになったみたいに・・・。」
 「とんでもない・・・。きみは、なにか重大なことを言おうとしているんだね!」
 「ぼくは、あなたと、あなたに追随している中央委員会は、一連の戦術的誤りをおかしていると考えます。あなたは、スローガンをもてあそんでおられる!」
 「わたしはスローガンをもてあそんではいない。革命が新しい転換をたどるごとに、それがどんなに急激な転換であろうと、つねにわたしは大衆に真実を話している。どうも、きみは、大衆に真実を話すことを恐れているようだね。きみは、ブルジョア的方法をもって、プロレタリア政策をおこなおうとしている。《自分たちの仲間》うちだけで、自分たちのあいだだけで真実を知っていて、大衆は無知で愚昧だからとか何とか言って大衆にはこの真実を話そうとしない指導者は、プロレタリアの指導者ではない。真実を話したまえ。敗北を喫したら、その敗北を勝利だと言いくるめてはならない。妥協する場合には、これは妥協であると言いたまえ。敵をやすやすと打ち負かした場合に、困難な闘いだった、などと言い張ってはならない。敵をうち負かすのに骨が折れた場合に、まことにらくな闘いだった、などと自慢してはならない。誤りを犯した場合には、自分の権威を失墜することになりはしないかと恐れることなく、正直に自分の誤りをみとめたまえ。なぜなら、きみの権威がそこなわれるのは、自分の誤りを認めようとせず、知らん顔をしているときだけだから。状況によって方針を変えることを余儀なくされた場合に、方針は不変であるというように、事態を見せかけようとしてはならない。労働者階級にたいして誠実でなければならない。労働者階級の階級的勘と革命的良識を信じるならば、ね。マルクス主義者にとってそれが信じられないということは、恥辱であり、破滅だ。そればかりでなく、敵をあざむくということも、きわめて複雑なことだ。それは、もろ刃の剣のようなものだ。へたをすれば味方をあざむくことにもなる。それは、直接の闘争戦術のきわめて具体的な場合にのみ、ゆるされることなんだ。なぜなら、われわれの敵は、われわれの友から決して鉄の壁でもって遮断されてはおらず、勤労大衆にたいしてなお影響力をもっているからね。大衆をばかあつかいすることに巧みな敵は、われわれのどんなに巧妙な策略でも見破って、大衆よだまされるなと、あべこべに宣伝し、それがちゃんと成功をおさめるんだからね!《敵をあざむく》ためであろうと、大衆に誠実でないことは、愚かしく、ひきあわないやりかただ。プロレタリアートが必要としているのは、真実だ。プロレタリアートの事業にとって、ていさいをつくろった上品ぶったプチプルくさいうそほど、有害なものはない」
 ジノビエフは、いらだたしげに笑い声をあげた。
 「真実にもいろいろあります」彼は言った。「ばか正直はいけません。この四月、あなたは帰国されてすぐ、タウリーダ宮殿で演説をされたが、そのときあなたはこんなことを言われた。わたしは現下の情勢がまだ完全にはよくわかっていない。なぜなら、まだやっとひとりの労働者と話をすることができたばかりだから。このあなたのことばに、メンシェビキはどっと笑い、われわれ同志はずいぶん気まずい思いをしました・・・。」
 「いいじゃないかね。あれはわたしはわざと言ったんだ。それが真実だったからそういったんだ。そのかわり、そのつぎにわたしが、プチロフ工場、信管工場、その他の工場の数多くの労働者に会ったから、労働者の気分はよくわかった、と言ったとき、みんな、わたしのことばを信じてくれた・・・。党の政策が、こっそり、どこか上の方で、内密にきめられる、というような状態に、わが党は落ち込んではならない、とわたしは思うのだ。おれたちは真実を全部知っていてよいが、大衆には真実を2分の1ほど、いや4分の1ほど、いや8分の1だけ話そう、といったような態度は、よくない・・・。」
 「それは、もっともです。しかし、あなたは、いま、この壊滅と混乱の状況下で、武装蜂起と、プロレタリアートによる権力奪取を、あくことなく呼びかけておられるじゃありませんか。国内における力の配置を完全に無視して・・・。それこそ、空想です。あなたは空想の世界に遊んでおられるんだ!」
 「ああ、それをきみは言いたかったんだね! きみは、責任をともなう決断を恐れているんだ!」
 「ぼくは無責任な決断を恐れているんです!」
 「きみは、わたしたちふたりが生涯かけてめざしてきたもの、わたしたちがこれまで書いてきたもの、わたしたちがこれまで夢みてきたものを・・・すなわち、プロレタリア革命を・・・恐れているんだ」
 「ぼくは、不利な条件における武装蜂起を恐れているんです。敗北とさだまっている革命を恐れているんです。われわれは、いっさいがっさいを失うかもしれないんだ」
 「いっさいがっさいを失うということはありえないね。そりゃ、レーニンとか、ジノビエフとか、クルプスカヤとか、リーリナとかいった個人なら、いっさいがっさいを失うこともあろう。しかし、プロレタリアートが、いっさいがっさいを失うということはありえないね。きみもよく知っているある文献の句を引用するなら、プロレタリアートは《鉄鎖以外のなにものも失うことはない》のだ。革命にとっては、どんな危険もともなわない、完全に理想的な条件というものはないね・・・。きみのその