他者・外部・物質

 われわれは世界の中に住んでいます。世界の中には、わたしやわれわれでないモノがたくさん存在しているのですが、わたしたちは、それを認識していないことがたくさんあります。
 というのは、通常われわれがモノだと思っているものは、多くがわれわれにとってのモノで、それは、われわれの意識であって、ほんとうのモノではないからです。ほんとうのモノは、われわれにとってのモノではなくて、それ自体で存在しているものです。
 わたしやあなたが存在していなくても、わたしやあなたがそれについて何も考えなくても存在するモノ、それが本当に存在するものです。


 たとえば、次のような文章における「韓国の人」は、この人にとっての「韓国の人」なるものであって、実在する韓国人でも、韓国人の一人であるある一個人でもありません。それはこの人の頭の中の存在で、この人は、自分の観念の中から出て行く事ができないでいるのです。そして、民主主義とは、そういう、自分にとっての他者ではない、外にいる真の他者を知り、認識しようとしていくことなしにはなりたちません。つまり、私は、こういう文章を書くような人は、民主主義はまだわかっていないと言っているわけです。
 くりかえします。存在とは,誰かにとっての存在ではありません。それ自体として存在するものです。それは、国民でも、一個人でも同じことです。


《私が韓国に政治的に興味を持ったのは、日韓ワールドカップがあり、その際の韓国の人たちの日本に対する態度があまりにも幼稚でひどかったからです。さらに、youtubeが登場したときにも、韓国と中国の人が必死に日本を罵っていてびっくりしたからです。彼らが日本を非難する内容(政治、歴史、社会 etc.)は何を根拠にしたものなのか、正しいのか。そんなに日本や日本人がひどい国や民族なら、一体中国や韓国と比較して日本はどれだけひどく、彼らはどれだけ優れているのか?という疑問からのスタートです。
大統領が国際舞台で今の日本および日本国民を軽蔑する発言を繰り返し、日本の国旗を焼き、踏みつけ、韓国のオフィシャルなサイトの世界地図から日本だけが消し去れられ、韓国のトップ俳優ですらも日本でのコンサートで日の丸を侮辱する。ものすごいことですねよね。》