菅野さんのこと

菅野さんは派遣の仕事をしていて、手をはさみ骨折してしまったという。仕事に対して怖さを持ってしまっただろう。その不安を押さえるように大丈夫です、すぐ復帰できますと、会社の人の前では強がったのではあるまいか。正社員になれる話があればなおさらである。
だけれど、本心では。その仕事をやりたくなくなってしまったのではないか。
菅井も以前、派遣の仕事で、転落、足をねんざしてしまったことがある。それいらい、その仕事に恐怖心がおこり、復帰することができなかった。菅野さんと違い、当時はまだ余裕があって菅井は別の仕事を紹介してもらうことができたから、それはそれでなんとかなった。が、派遣労働を転々としていた菅野さんは多分、これがだめならもうだめ、という感じだったのではないだろうか。
親に話してみても、当人が一番不安なはずなのに、親の方がもっと落胆してみせたり、くびになってはいかんと危機感をあらわしたりしたら、仕事にたいする不安や悩みなどの相談なんてできはしない。子ども本人のことより、仕事を首になること(世間体や親の都合)のほうを気にする親なんだ、と思ったら、自分は何のために生まれてきたんだろうか、と根本的な絶望にとらわれてしまったりする。
これは半ばは菅井の経験を通した想像である。でも、父親のどっかひとごとな話しっぷりのインタビューを聞いて、あたらずといえども遠からず、と思った。
この手のことは本質的には自殺でもあるから、自分の憧れた対象を破壊、殺傷の相手にすることもありえる。誰でもよかったといっても、相手が若い女性であったことは、意味あるかもしれない。無理心中、

社会防衛の観点から、派遣労働、ワーキングプアということを故意にはずした報道、菅野さんの特殊な性格や、特殊な事情に原因をもとめたり、行為の非難に終止する見解が、秋葉原の加藤さんの時よりさらにいちだんと強化されると思うので、一応書いておく。その点をはずした分析は、客観的なものとはいえないから。