ひまんのこと

肥満ということばがあり、いまのにほんでは、これはタバコと同じく無条件に悪のそんざいとみなされている。
メタボリックなんてあたらしいことばもつくられ、びょうき、あってはならないこと、はんざいにんのようにつかわれている。
すがいもやせてはいない。とくに、このすうねん、きゅうにはらがでて、いわゆるたいこばらになってしまった。
これは、せいおういがくにおおわれたいまのにほんでは、いじょう、びょうき、とされ、ダイエットしょくじせいげんは、ぎむなのである。
すがいはとくにいじょうにふとっているというきはなく、もっとすごいふとっているひともいるなとはおもうが、ふとっていたい、とべつにおもうわけではないが、
けいかくてきなしょくじせいげんをしなければならないというふうちょうにはいわをかんじている。

ふたつのことをあげる。にほんでんとうのしんたいろんでは、たいこばらはわるいものとみなされていない。ひだしきけんこうじゅつのそうししゃはたいこばらだった。

すがいはようつうがあっかしてからふとるようになった。きんにくとほねでからだをささえるより、ふくらんだないぞうぜんたいでほねをささえるほうが、ほね、なんこつ、せきずいへのふたんはすくないのではないか。それがしょうこに、なつばて、びょうきなどですこしやせると、こしがつらくなることがある。
つまりは、からだがちゃんとせいかつしていくためにてきするように、からだはたいおうするめんがある。
せいおういがくは、ひまんにたいしては、やせろとだけいい、やせて、ようつうがひどくなると、こんどはけんいんをしろ、しゅじゅつをしろとなるのだが、けっきょくからだはこわれていく。もちろん、やせてたいじゅうがげんしょうすれば、ふたんがかるくなって、ようつうがかんわされるばあいもあるだろう。
ただ、にほんをしはいしているせいおういがくは、びょうきばかりみていて、にんげんとからだぜんたいをみていないのではないか、というしてきはあたっているとおもうのである。



あめりかでひまんなのは、かねもちではないそうだ。かねもちは、とれーにんぐにかよい、びんぼうにんはファーストフードでふとるのだそうだ。
ひまんはあくというイデオロギーはかねもちがただしいといっているのと同じなんじゃないかという気もする。