1にちのひるまにN H K 3 チャンネル「まんようしゅうへのしょうたい」をみた。
もとおりのりながは やまとだましい について わかのこころ であるとのべているが
やまとだましいが、「あいこく」はによってどのようにつかわれているかは ごぞんじのとおりである。
すがいは、「あいこく」はの やまとだましい りかいは こんぽんがおかしいとかんじるのだが、
このばんぐみはそれをよくあかしてくれていた。
もちろん、まんようしゅうは、げんぞんさいこのにほんのかしゅうであり、わかのけいしきいがいのふるいうたのけいしきもたくさんふくまれているのだが、そこには のりながのいう わかのこころがみちみちている。
にほんごは、いしきするとしないとにかかわらず、まんようしゅういらいのうたのせかいをぜんていとしている。にほんじんがにほんごをつかっているかぎり、にほんみんぞくはほろびないというのは、ふかいいみでしんりである。
にほんじんであることにじしんをもてず、ついつい、たこくのひとにあなどられるとはんぱつしていまうひとたちは、「あいこく」はの ひともふくめて、まんようしゅうをぜひくりかえしよむべきだ。
よみかたについては、すべてではないが、たとえば てんのうのうたについてはこのばんぐみではふれていないけれども、このばんぐみはじつにいいにゅうもんになっている。すがいもがくせいのときにこういうてほどきをうけていればよかったな、とおもった。
かんれん
http://www.ffortune.net/social/people/nihon-edo/motoori-norinaga.htm