ホメオパシーを反社会的カルトと決めつける言説。

 私は、小学校の時、皆勤賞というのをもらったが、風邪で熱が38度とかあってもがんばって登校した。さすがに39度すぎるとおかしくなったので、家へ帰らされたこともある。その時、ほかの人にうつしたかどうかは記憶にないが、多分うつされた人はいるだろうと思う。


ホメオパシーについて書かれた以下のブログについて
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090514/1242242625

 カルトというのは、厳密につかう必要がある。

 この論者は、うらない、おはらいを行うすべての宗教をカルトと主張、攻撃するだろうか。それなら一貫している。それなら、大半の宗教や、日本人のような無宗教習俗もまた、カルトときめつけなければならなくなる。
 だが、社会で、思想、世界観が異なる他者を、討論の対象とするのでなく、全て排除し、共存を認めないこうしたやり方はまちがっていないか。
 それなら、この論者もまた、近代医学主義カルトであると決めつけられうるだろう。予防接種についての、個別の内容にわけいらないでの、硬直した主張をみると、たぶんそうである。
 論者が、キリスト教徒や仏教徒イスラム教徒を共存の相手ととるなら、カルトと決めつけて排除するのではなく、その思想の問題点と思われる点についても含んで、具体的に議論するべきである。

 ホメオパシーについても同断である。ホメオパシーは、一定の歴史的文脈をもって育って来た医療の潮流の中にある。発生期の近代医学にも多くの間違えがあったように、この潮のなかにも間違えも行き過ぎもある。だが、この潮流の成長には、ポジティブな根拠があるのであって、今後もなくなることはない。

 オウムのサリン事件のため、こうした潮流の素朴であからさまな主張は、抑圧されるようになった。オウムのようなもの、という目で見られるようになってしまったからである。しかし、この流れがたえてしまうことはない。

 論者は、ホメオパシーなんて、まったく知らないという普通の人に対して、いきなりセンセーショナルなカルトというレッテルを張って紹介した。これは問題提起のやり方としては最低のものである。予防注射ということがらに理解を深めさせることにもなっていない。せいぜい、お上のいったことにはあれこれ言わずに従え従わないと排除(カルトだ)されてしまうと言う、教訓しか引き出せまい。

 自分の思う通りにならない人々がいる時、それが少数者だからとあなどって、攻撃の対象とする。それがこの論者の心性だと感じる。それはおかしくないか。