国家論の問題設定転換の必要(メモ)

   国家論の問題設定転換の必要(メモ)

国歌論を歴史学の文脈から解放して、国民国家や領域国家だけではなく、たとえば、つたややグーグルやマクドナルドも取り扱うようにすべきこと。

社会革命にとって、その奪取と権力掌握が不可欠である、人々を支配しているものを国家とみなすべきこと。いまでは、それは領域国家でけではない。ある種の大企業もその中に入れるべきである。

ーーーーーーーーーーーーー
 いくつかの大企業を、労働者との関係から見るならば、資本主義の経済分析が基本になるべきだが、消費者との関係からみるとき、国家としてとらえるべきではないかと思う。
 国家の監視やプライバシー侵害を問題にしているあいだに、誰にも警戒されないうちに、インターネットを監視するしくみをつくりあげてしまったグーグル、人々の生活過程の中で、不可欠な要素となった、イメージの消費にかかわる分野において、影響を行使するつたや。形態、影響範囲はさまざまであるが。

 目に見える象徴天皇制国家ばかり見ているうちに、目に見えない国家(複数)が発生しており、それは分析されていない、ということはないだろうか。

 国家独占資本主義を、歴史的に生成した、民族国家と、資本主義の合体としてとらえるのではなく、階級支配を維持するために、国家を不可欠とする資本主義、国家を階級支配の装置とみること。
ーーーーーーーーーーーーーーー