われわれは「反日」ではない。「反大日本帝国」なのだ。

われわれは「反日」ではない。「反大日本帝国」なのだ。


ネット右翼や政治ブログランキングに巣くっている自称「愛国」連中は、
総選挙による自民党の瓦解にはじまる、政権交代、新しい政治へのうごめき
と混乱の中で、日本の今後の進路をまっすぐに見ようとするのでなく、ひたすら
民主党のこきおろし、彼らにがまんのならないいくつかの法律・・・それも世界的に
見れば、当たり前の方向にすぎないもの・・・への反対に熱気をあげている。


そして、平和主義の発言にたいしては、あいかわらず「反日」とか、「朝鮮の工作員」とか聞くに
耐えない悪罵をなげかけつづけている。

われわれを、「反日」と、「外国のエージェント」とかいうのはとんでもないまちがいである。
我々は、ただ「反大日本帝国」なのである。だから、もちろん、戦後における
大日本帝国復活の亡霊たちには絶対反対である。


われわれは、政治的立場や表現はいろいろあれ、
その本質においては江戸末期から幕末明治維新の動乱の中で、
欧米の開国圧力ならびに植民地主義の野望の中で、危機感をもってそれに立ち向かおうとした
者たちのひとつの流れの後裔に他ならない。(横井小南、勝海舟などに代表される小国主義)
現実には、もう一つの流れ(大国主義)が主導権をとり、明治維新政府を「大日本帝国」につくりあげ、
欧米に対抗するために、日本のまわりのアジア諸国を次々支配下に置いていくという
帝国主義政策と大国主義政策となり、そして、われらの日本を滅亡の直前にまで
追い込んだあのアジア太平洋戦争で滅んだのである。
だから、その後、もう一つのえらばれることのなかった選択肢が見直される必要があるのだ。


明治維新は、薩長の陰謀によって作り上げられた政府ではあったが、いったん帰趨の決まったのち
幕府側の武士たちも多くその中に入って新しい日本を創ろうと、協力したから、まともな政府となったのである。海軍大臣などになった勝海舟はその代表的な人である。
できて、すぐの岩倉世界訪問団の半分は幕府にいたものたちだといわれている。
政府顧問になりすぐ暗殺されたため、その思想を実行するチャンスをもたなかった横井小南は、近隣アジアと協力して、欧米の圧力に立ち向かおうとする、小国主義、平和主義の思想家である。
それに対して、大国主義、大日本帝国主義を導いた元祖は、吉田松陰だった。彼は教育者としてすぐれ、幅の広い視野ももっていたが、
その彼が、「急いて武力を蓄えて、北は北海道、カムチャッカ、オホーツクを奪い、沖縄、朝鮮を属国にして、満州、台湾、フィリピンを奪い、勢いを示せ」と、その後の大日本帝国のやったことを著書「幽囚録」で指示していたというのは、ほとんど語られることはない。松陰門下、影響下の多くは明治政府の中心で活躍し、師に忠実に動いたということだ.(伊藤博文はもちろんその一人)


われわれは明治になって、冷や飯を食ってきた幕府方や、共和主義を求めて、明治維新政府からこぼれていった諸民、小国主義と平和主義の後裔である。そして、「反大日本帝国」派なのである。