郵便の民営化をすすめた西川社長がようやく辞任した。
民営化・分割路線にストップがかかり、国民生活の基幹部門のひとつに
公共性が再び認められた形だ。
民主党政権の発足以降、
それまで、政権交代が目標と言うことで足並みをそろえていた
平和勢力だが、
さまざまに見解を分けている。
一番極端なのは、森田実氏である。森田氏はかつて小沢氏を高く評価していたが、
かの大連立騒動で、みそをつけ、それいらいおざわひはんにてんこうした。
そして、せいけんこうたいがなるや、みんしゅとうひはんをさかんにやっている。
かれのみかたは、みんしゅとうはおざわどくさいであり、ますめでぃあはみんしゅとうに
すりよっていて、じみんとうひはんばかりなのだそうである。
たほう、うえくさしややまざきしによれば、メディアは
みんしゅとうたたきにけんめいである。らいねんのさんぎいんせんきょでもみんしゅとうがかつことをぜかひでもそししたいのだそうだ。
あまきしは、みんしゅとうか、じみんとうかなどどうでもよい、ただ、しみんとして、じぶんたちのためになるせいじをもとめて、ひはんしていけばいい。しはいせいとうになれば、どのせいとうだってけんりょくてきになるのだから、という。
ひょうかばかりか、げんじょうにんしきまで、こうもちがっているのはふしぎだ。
すがいは、テレビをみないので、どちらがただしいかわからないが、いまじゅうようなことは、もうにどとじみんとうにひっくりかえらないようにすること、とみんしゅとうのじみんとうかをさせないことだとかんがえる。
みんしゅとうのきばんは まだまだあんていしたものではない。
じみんとうじたいはそれほどおそれるひつようはないが、ポプュリスズムせいりょくのゔごきはあなどることはできないとおもっている。
さいきんでんしゃにのっていて、かんじることだが、ひとびとのひょうじょうがすこし、あかるくなっているようなきがする。これはせいけんこうたいのせいのようにおもえる。