メリットがあるから○○する

メリットがあるから○○する


そういう言い方がある。


功利主義的行動理論である。
人は誰でも、無意識も含めて、自己のメリット
を最大にするように、計算して行動するものだ
という人間観だ。
計算はまちがうこともあるから、何が本当にメリットなのか
意識的に考えることは重要である。
あるいは、そういうメリットを計算して生きる機能が何等かの原因で
発達してなかったり、さびついてしまっている人もいるので、
それを啓発することは重要である。


そうした人間観に徹底的に立って、描かれたユートピア小説がある。
「何をなすべきか」
19世紀ロシアのチェルヌイシェフスキー
という作家の長編小説である。

この本は、小説としては、あまり高い評価を得られなかった。
同時代のドストエフスキートルストイの方が評価は高い。
だが、その本は多くの人に強い影響を与えた。


共同生産享受社会という理想へと、各自は各自の快楽計算を通して
たどりつく。各自の自己保存、自己発展の価値を絶対として。
もちろん、各自のメリットはさまざまであるから、計算することは
一様であっても、ずいぶん違う。恋愛のような事柄についても、
愛を語らうよりは、メリットの計算についての果てしない議論が繰り返される。
甘い陶酔も癒しもなく、リアリズムがある。そこには欺瞞的な道徳は存在しない。
人間に存在することはありのままに認められる。


メリットを問う思考は、この同類である。


だが、人間の行動は、そのような計算によっていると
みなすことは、人間についての一つの仮説である。

他には、たとえば、集合無意識の深層があって、人はそれに突き動かされているというような
仮説もある。

以上の2つは、合理、非合理ということでは正反対だが、どちらも、人間の意識が人間の行動を決定する
という点では共通だともいえる。


菅井は、今は、人間の行動は、人間をとりまく環境と、実践によってきまっていると考えている。
メリットの計算も含めて、思考は、無意識なものも含めて、
その因果の主なるものではない。