正しさはどこにあるか

正しさはどこにあるだろうか。
各人の意識の中にある、と多くの言説は前提しているように思う。
それをつきつめると、複数の正しさの平和共存(議論をあるところで止める言説)になるか、
正しさなどは主観的で本当にはわからない、だから何もしない、あるいはだから、自分の思った通りに
やるしかない、といったことになる。

だけど、正しさは、各人の脳の中になんかない。
脳の中にあるのは、言葉、せいぜい脳神経回路の生成変化、あるルートの活性化である。

各人の外にあって、一回きりの今目の前で生成している事柄、それが問題なのだ。
それがなにかつきとめるためのさまざまな実践、が正しさを生成する。正しさとは最初から普遍的、公的なものである。
さまざまな実践の中には、議論も入るが、それだけではない。                                   

科学というのは、科学者という一部の人々の中で生成する正しさだが、
だから、科学にかかわることがらでは、まずもって、科学者の中でどういうことが明らかになっているか
調べてからでなくては、はじまらないわけだが、

他の分野の正しさについてだって、基本は同じことだ。


正しさは、各人の意識の中になどない。何が正しいかをその人の使える手持ちの道具で
確かめようとしている人はいるかもしれない。それすらもたず、自分の言葉をただ叫んでしまっているだけの人々は
そのことを知らないのだ。