ふらんすかくめいになぞらえて

民主党政権の成立をフランス革命になぞらえて考えてみる。
すると、いまは、テルミドールの反動後の総裁政治期ということになるだろう。恐怖政治のロベスピエール(小沢?)を追放して,権力をにぎった彼らは一応、革命派のはしくれだったが、やることはぐずぐずで、ついに王党派の公然とした活動や、貴族たちの帰国、さらには、イギリスをはじめとする外国の干渉をふせぐことができなかった。フランス革命では、収拾がつかない中、若き将軍ナポレオンが独裁者となり、共和制を廃止して、皇帝になり、王党派や反革命をおさえることになるのだが、今の日本にフランス革命のもうし子であったナポレオンのような人材はいない。と言うことは、総裁政治の倒壊のあとに、ベルサイユ反動体制がやってきて、いっきに王制への復帰(自民党、従米政権の復活)になってしまうのだろうか。


ロシア革命の時には、レーニンらは、反革命のまきかえしは十分に予想していて、テルミドールの反動をできるだけ遅らせるために、いきすぎも含めて果断な処置をした。その結果、フランス革命の10倍、70年あまりも持つことになった。

レーニンと比べるのは適当ではないが、小沢一郎は、支配層内の権力闘争には慣れているものの、階級闘争には不慣れなためか、政権奪取後の見通しは甘かったように思う。官僚も亜米利加とも、なんとかやっていけると思ったのだろうか。戦うべきところで、断固とした戦いをしなかった。

新しい政治の可能性が動き出すと、旧支配層は、あらゆる手だてをやって、それを押しとどめようとする。
鳩山、小沢への検察の攻撃はそれだし、マスメディアも朝日も含めて歩調をあわせた。

60年安保の時もそうである。60年安保は、新安保条約が通った事で敗北したのだ、と思いがちだが、岸は退陣し,そのあとの総選挙では、自民党は敗北している。社会党のリーダーには、大衆的人気のあった浅沼がいた。だから、その時に、日本が変わる可能性があったのだ。
共産党も、戦後の革命方針の動揺をおさめて、再統一を果たしたところだった。
だが、実際には、江田派が分裂して、民社党をつくってしまい、リーダー浅沼委員長は、右翼少年、山口おと矢のテロによって殺され、その芽はつまれた。こうした分裂の背後には反動勢力、亜米利加の意志があったことは確実である。

1945年から1960年に至る、戦後の革命情勢時期と、
高度経済成長、バブルの崩壊を通過して、社会主義世界体制も解体し、諸民が 消費的個人へと解体され、エゴイズム(新自由主義)に染められてしまった21世紀初頭の今とは、状況は異なっている。

今回の小沢起訴への動きを,ドレフュス事件大逆事件のような、重大な弾圧、人権侵害とみて、市民も立ち上がりはじめていて、小沢一郎もそれに呼応して変わっているようにもみえる。


今の民主党政権は,新たなる波の、最初の小さなうねりにすぎない。すべては、これからなのである。