しはいしゃたちはぶんれつするか

 かぶきは もともと かわらこじきで あった。
のう・きょうげんが しはいしゃに ほうしする げいのうで あったのとは はんたいに、しょみんの ごらくだった。
 それが、ぱくまつから めいじにかけ、かいかくを おこない、いしんせいふに むすぴついて、てんのうに みてもらえるようになり、けんりょくしゃの ぶんかそうちに かわった。りっしんしゅっせ したのである。
 それが いまの かぶきで ある。
 その、めいじの かぶきかいかくの ちゅうしんじんぶつが いちかわだんじ ゅろう、 こんかい、ますこみに ぼくしんぐで KOまけ したような さんじょうを さらけだした いちかわえびぞうの ひいひいおじいさん であった。
 えびぞうを ぼこぼこに したのは、その ともだちの ともだち、だから、おなじく、ろっぽんぎかいわいで あそんでいる しはいかいきゅうのこどもたち の ひとりである。げいのうかいか、せいかいか、ざいかいか、やくざかいか、やみのせいりよくかは しらないけれど。こんかいの じけんで しめいてはいされた ことを しり、ちじんに「めんどくせえ」と かんそうを もらしたと あの「しんぶん」が つたえている。

 
 これが、にほんの しはいかいきゅうないの スキャンダルである ことは、あまきなおとし が いちはやく つたえていたが、かれは、しはいそうは かくそうとすると よんでいた ようだが、いちかわえびぞうがわは こくそした。けんさつは うごきはじめ、ゆうかんしも とりあげた。
 
 しょみんの まえに、しはいかいきゅうが そのすがたを さらし はじめている。

 
 どういうことなのか。こくそ しないと、かぶきの「こっかげいじゅつ」としての けんいが、おびやかされかねないと みて、なかまどうしの けんかではなく、えびぞうは わるいやつの ひがいしゃなのだ、と しゅちょうするために やったのか。

 おなじく、「こくぎ」である すもうの さんじょうは、「かぶき」かいの しょうらいを あんじして いる。


 かくめい、よのなかの へんかは、しはいそうが ぶんれつし、しょみんが だんけつした ときにしか、おきることは できない。


 ききに あたり、しはいそうが しょういを すてて だんけつし、しょみんが ぶんれつさせられる とき、かくめいは かつことは できない。


 にほんの 60ねんだいいこう が そうであったし、だいいちじせかいたいせんごの ドイツの ナチスの たいとう のときも そうだった。

 
 このスキャンダルは、 しはいかいきゅうが ぶんれつしはじめた ことを いみするだろうか。