[孤立死」する若者?

孤立死をめぐるスパの記事をネットで読む。
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20110125/zsp1101251551015-n1.htm
荒れ果てた部屋に強烈な腐臭…「孤立死」の悪夢


ここでの新しさは、従来フォロー、ケアされるべき老人に焦点をあてられてきた
この問題を、若者にシフトしたことである。


孤立死の20パーセントが若者(ということは、80パーセントは依然老人だということなのだが)であるという東京23区のデータはためになった。


だが、その事実を若者の貧困化の問題として正しく扱うのでなく、
一人暮らしをしていること、ネットでのコミュニケーションを主にしていること自体を敵視していることに問題を感じた。


村上春樹の小説に描かれて以来、その存在が明確にされた、独立型の生活スタイル自体を、
スパの記事は、異常として、なくすべきものと見なしているのだ。
村上春樹が、彼の生育と、資質と努力と偶然により、勝ち組になり配偶者も得た特例であるのに対して、
普通の若者たちが、貧困化にさらされているというだけの違いなのであるのに。


若者の死は、確かに異常である。老人が孤立死するのはあるいは寿命であるのかもしれない。
だが、若者は決してそうではない。


では、その異常な出来事の原因は、彼らの孤立した(独立した)ライフスタイルにあるのか。


そんなことはない。


村上春樹ほどのお金持ちにならなくても、生き抜いている孤立型は存在している。
孤立型のライフスタイルはまだ完成してはいないのかもしれないが、確実に存在している生き方の一つである。
人知れず夭逝する若者たちが、死ななくてもよいのに、死んでいるのは、貧乏だからに決まっている。金持ちの親がいれば、少なくとも死にはしない。


老人の[孤立死」という呼び方は、もしかしたら適切なのかもしれない。本当はつながって生活したいのに、体が動かなくなり、まわりも暖かくなく、肉親にも見捨てられ、孤立せざるをえなくなった老人はいるだろう。


だが、自分でそのライフスタイルを選んでいる人々、若者、は、「事故死」「夭逝(ようせい)」とは言えても、[孤立死」などとは呼べるはずがない。


スパの文章は、あらかじめ、「困窮した若者」に、「他人のせいにしてはならない」と、彼らの退路をたってしまっている。本気で問題を解決する気がないのだ。


この文章を書いた人の頭には、よく監視されていれば、死ぬまえに追い出してしまえば、[孤立死」はなくなる、不動産価格は下がらなくて済む。つまり、資産価値を下げないですむから、よい。という、ホリエモン主義と管理社会の結託があるのだ。


若者を扱ったエヌエッチケーの番組が、若者の孤立を、悪、病気、あってはならない異常現象とみなす視点で扱って批判を受けているらしい。その番組を見ていないし、批判の詳細もフォローしていないが、報道どおりなら、当然の批判だろう。


孤独自死した女の子の住んでいたので家賃の安くなっているアパートに住みついた貧乏な若者を描いた田中ユタカさんの漫画[愛しのかな」はボクの愛読書だ。


そういえば、ボクの前のアパートは、一人暮らし自死した老人の部屋の上だった。そこを追い出されて入った今のアパートも、夜逃げした中国人の住んでいた部屋だった。入居後[○○でてこい」と借金取りがやってきて大きな声でどなられた。人が違うと説明してお引き取り願ったが、ドアには今でも蹴られたへこみが残っている。