私企業に公共的性格を期待する矛盾

福島原発関係の賠償を東京電力はのがれようとしている。
経団連会長も、国家が賠償すればいいと言っているらしい。


東京電力は、原発をやりたくなかったのだが、国策だからしかたなくやらされていたというのなら
そういうこともあるだろう。


だが、東京電力は自ら原発をやり、安全神話をばらまき、危険な場所に建設しつづけ、この事態をまねいた。


東京電力は私企業とはいえ、公共のインフラにたずわる巨大独占である。しかも国土と国民の命にかかわる。


公共事業団体だからと、僕達は特別の目で以前は見ていたが、何か変だなと思っていたら、まったくのまちがいだったわけだ。


東京電力は、国営化(国民がその意思を決定する機関に)するべきでないだろうか。


いざというときに、国民の命と安全より自企業の生き残りと儲けのことしか
考えられないものに、大事なことを任せるのはおかしい。
しかも、巨大技術は一私企業に任されるほど安くはできないし、してはならない。
だが、もうすでに東電は人減らしに動いている。危険ならなおさら必要な要員がいるはずなのに。


そんなことを思っていたら、アップルが、アイフォンの位置情報を取っていたとの発見と抗議が行われ、言い訳がされているニュースを見た。
菅井はアイフォンもアイパッドも持っていないので、直接被害には関係ないのだろうが、アップルの言い訳はたぶん嘘だ。東電のやり方と同じ臭いがする。


アイティ産業であっても、公共性にかかわるところでは、好き勝手、自分の利害しか考えないということは同じだ。


アップルやグーグルをも含めて、好き勝手やって、社会の構造を変えようとしている巨大私企業を、監視する勢力としくみが存在していない。