戦後民主主義教育についての印象の対立

ある人いわく。
学校に入ったら、日本は悪いことしたダメな国だと教えられた。


日教組教育」といって戦後民主主義教育を批判する言葉だ。


ボクはそう感じたことがない。
なぜかと思ってふりかえってみた。


学校に入ったら、日本は世界にさきがけて軍隊を廃止し、戦争をしないで幸せな社会をつくりあげると決めて実行しつつあるすばらしい国、大国ではけっしてないけど(中進国)といわれた。ま、米ソのような大国ではないということだ。

ふりかえってみると、小学校、中学校まではこんな感じだった。
さっきの人のような感じを抱いたことはまったくない。


それは、もしかしたら、ボクが朝鮮の人とか中国の人に具体的に顔見知りがなくて、たまたま直接抗議され否定される機会がなかったからかもしれない。そういう、いやなつらい経験があれば、ボクも、自分の国をダメな国とか言われてるように感じてたのかな。


そういう人がいないのに、家ではオヤジが、チョンとか朝鮮とか、チャンコロとかよく言うので、なんでそんなにひどくいうのかな、と思ってた。オヤジに対する疑問のはじまりのきっかけの一つだった。


幻滅したのは、全共闘運動とか60年代末の動きの顛末でだ。力いっぱい理想を実現しようとして、敵もけっこうはっきりしてきて、自分たちの足りないところもわかってきて、暴力的なのはついていけなかったけど、よい点も一杯あったのに、力いっぱいたたかって、力足りずに敗北したのならまだよかったのに、なんだか、とても気持ちのよくない終わり方だった。敵の意図はほぼ実現して、負けは負けなんだけど、理想も蝕まれてしまった。


もっとも、時代に鈍感なボクがそれを感じとれるようになるためには、15年くらいかかった。ああいう先輩にはなりたくない、ならない、と思って15年・・・・。


いまは、自分も大同小異だったとわかっている。これから、日本をちゃんとつくっていくことは、ボクよりずっと若い人たちが決めることだ。このままで、くずれていくのもありうるが、ボクは反対だ。


はるかずっと以前に「ニュークリアエイジ」を翻訳していた村上春樹さんが、このあいだ、ようやく核(原発を含む)について口をひらくことができた。だったら、象も平原にもどることができるかもしれない、そう思うのだ。