「なでしこ」ジャパン

女子サッカーアメリカに勝って優勝した。
「なでしこ」ジャパンと呼ばれているらしく、新聞は日経以外一面全部で報道している。
日刊紙がスポーツ紙みたいな紙面をはじめて見た。


テレビにさようなら(あと数日で本当にそうなるわけだが)している菅井は、そのことをあとで知った。
というか、サッカーに女子リーグがあるということをそれまで具体的に知らなかった。


ココイチでハーフカレーラッシーを食べていたら、四人の賃労働者男性が入ってきて、ハーフビールを飲みながら、
ひたすら、なでしこジャパンの試合の話でもりあがっていた。四十代くらいのおじさん、まったく普通の労働者たちだった
が、彼らの試合に対する感想をきくかぎり、かなり劇的な試合展開であり、危機をしのぎしのぎ、奇跡の逆転という感じだったらしい。
おもしろかったのだろう、頭のうすい、先輩格のいい熟年男性も戦いぶりを具体的に述べる。


女子サッカーの優勝がすごく興味を集めているのを実感した。


なでしこの花と、「撫子(なでし子)」という言葉の響きには、思い入れがある。


女子サッカーの日本代表たちは、昨今のプロスポーツ
美女化、スタイリッシュ化の洗礼を受けていないらしく、お化粧なしの素顔のステキさ、などと言われているが、
なでしこは、優勝、とか、日本の誇り、とかいうはれがましさには、いささか不似合いな花であり、言葉なのだ。
もちろん、日本女性をやまとなでしこ、と形容すること承知でそういっている。


「なでしこ」ジャパンに熱狂する人々は、たぶん、武蔵野に群生するナデシコの花を見たことがないと思う。
なでしこ、という言葉は、ずっと聞かれない死語同然の言葉だった。
だから、「なでしこ」という言葉がよみがえったこと、をよしとしたい。まず、言葉だけであっても。