飯館村を除染特区にするべきではないか

飯館村は、今回の原発事故の象徴のような村である。
國は、なにをさておいても、この地域だけは、住めるまでに除染しなければならないのではないか。森林が多いからといって、あきらめ、放置してはならない。現在の技術で除染は可能なのではないのか。東電も國も、商売になるかしか考えていないから、できないといっているのではないか。
もちろん、除く土砂、木の枝や葉、草などをどこに移動させるかという問題は残る。だが、飯館村一村の分だったら、なんともなるだろう。

ことがらは、ぼくらには何かができるのか、どうかということなのだ。

それは、今の福島第一の放射能だだ漏れ状態をなくす根本的手だてをうたなければならないことと同様に不可欠なことではないのか。

以下引用
《福島・飯舘村 故郷 存続できぬ

2011年8月26日 朝刊

 東日本大震災から間もなく半年。菅直人首相が退陣し、二十七日に民主党の代表選が告示される。福島第一原発事故の収束や復興が急がれる中、震災や事故の惨禍に苦しむ人たちにとって、東京・永田町の政治家たちの姿は、どう映るのか。 (中山高志)

 「いつもなら収穫時期なのに。四、五カ月で、こんなに荒れちゃうのかね」。雑草が生い茂る福島県飯舘村の水田。村で建設関連業を営む佐藤孝一さん(58)がこぼした。

 福島第一原発事故計画的避難区域に指定され、全村民が国から避難を要請された。移動を拒む数世帯と、避難で健康が悪化するのが心配な高齢者ら百七人が特別養護老人ホームに残るが、ほとんどの家はカーテンや玄関が閉まったままだ。

 しかし、佐藤さんは同居している認知症の母照子さん(75)が老人ホームに入居するまでは移動できないと、今も自宅にとどまっている。

 気になるのは放射線量。今月四日、自宅近くでは毎時〇・〇〇九二五ミリシーベルトで、村内には〇・〇一八ミリシーベルトを超える地点もある。

 「村の75%を占める山地が汚染されていて、いくら除染しても同じ。このままじゃあ村は存続できない」

    ■

 原発事故直後の三月下旬、村内の放射線量が高いことが分かってきた。佐藤さんらは、子どもだけでも早く避難させるよう、村などに働き掛けた。

 しかし、実際に避難が進んだのは四月二十二日以降。それまで村に残った子どもは、高い量の放射線にさらされた。

 「国は最初から、子どもを守るような指導をしなければいげながった」と憤る。

 それだけに、首相の首のすげ替えに走り、多数派工作に右往左往する永田町には目を向ける気にもなれない。「誰が首相でもいいけど、とにかく何事もきちっと方針を出してもらわねえと」

    ■

 自宅の手入れやパトロールのため、避難先の伊達市仮設住宅から時折、飯舘村の家に戻る酪農家長谷川健一さん(58)は、廃業に追い込まれた。牛五十頭の殺処分や譲渡を余儀なくされた。「三十五年かかって、やっと大きくしたんだ」。クモの巣が見える、がらんとした牛舎に悔しげな声が響いた。

 原発事故以降、全頭買い上げ実施を求めてきたが、実現しなかった。この数カ月間を振り返り、「今の政治は全くダメだ」と失望感を隠さない。

 「俺らが一日も早く故郷に帰れる段取りをつけてほしい。ダメなら代替地を見つけてほしい。これ以上、後手後手の判断をされては困る」とうめいた。

<避難指示> 福島第一原発事故を受け、政府は原子力災害特別措置法に基づき、半径20キロ圏内の住民に避難を、20〜30キロ圏内では屋内退避の指示を発令した。指示に強制力はなく、区域内に残ったり、家財道具などを持ち出したりする住民もいたため、4月22日に災害対策基本法に基づき、半径20キロ圏内を「警戒区域」に設定、住民らの立ち入りを禁止した。

 また、福島県浪江町飯舘村など原発から30キロ以上離れた地域でも、局所的に放射線量や土壌汚染の数値が高いと判明。積算値が年間20ミリシーベルトに達する可能性がある地域を「計画的避難区域」と設定した。

 さらに、20〜30キロ圏で計画的避難区域に入らない地域を「緊急時避難準備区域」に設定し、万一の場合、直ちに避難や屋内退避できるよう求めた。6月以降、年間積算放射線量が20ミリシーベルト超と推定される地点を「特定避難勧奨地点」に指定した。》