教育の問題

保守やネトウヨがよく、戦後教育の悪口を言う時は、
愛国心を教えていない、道徳を教えていない
日教組の偏向教育などという。

菅井は、そんなことより以上に、今の教育には
問題があるという気がしてならない。

それは、ネットで見られる発言で感じることなのだが、
1 議論ができない人
2 基本的人権のなんたるかわかっていない人
が非常に多いということなのだ。ネトウヨと議論をして
いて、なんとなく感じていたことだが、その当時はきちんと
話していけば、わかってもらえるかなとまだ思っていた。
だから、「バカ」「低能」「IQが低い」などの批判をする人には、違うだろうと思っていた。
意見が違うのであって、頭が悪いからだとは思わなかった。

だが、今でもそういう批判には同意できないが、確かに、
話し合いをするのに必要な前提を欠いた書き手がインターネット上にはとても多いと思うようになった。

たとえば、論理を知らない。論理でおかしなことになったら、自分がまちがっているかもしれない、と疑う事ができない。そもそも、自分の考えが、正しくない場合もあるということに思い至ることができない。言論が自己表現になっていて、吟味になっていない。

そういう人は昔もいたし、現に菅井の近親にもそういう人はいる。しかし、インターネットという技術の出現と共同体の解体の進行のため、昔ならそういう人は、たしなめられたり、発言しなかったのが、今はたくさん発言するようになったのだと思う。

国家エリート(知識人、学者とか)たちばかりが発言し、社会の動向を決め、諸民は無告の民だった、安定した階層社会が資本主義の展開の中でくずれ、諸民が知識人と同じ場やレベルで声を発信できるようになった。

だから、それはよいことなのだ。
だが、そうなってみて、ネットで世論をねりあげていく上で、ネトウヨ(だけではないけれど)が受けてきた教育の問題点のマイナスが見えてきたと思う。ネット時代のリテラシーのベースが教えられていない。

個人の考えと独立に真理、正しさはあること。実証、実験、論理の意義。

そして、民主主義とは、公民(市民)としての自分が、私人としての自分以外に存在すること、人はお互いに、公民(市民)としての個人として、尊重しあわなければならないこと。
こんなことになると思う。この二つの点が公教育でおしえられない限り、公教育の存在意義はないと思う。

公然と、受験勉強が学校でなされるべきだと
言われてしまうことなど、過去には考えることもできなかった。私人教育に蚕食されてしまった
今の公教育、そこに、国家や天皇の権威を注入する教科書が入ろうとしているが、こりゃ、ダメだ。