現在日本とワイマール共和国との相似

日本の現在は、
第一次世界大戦下のドイツ、ワイマール共和国体制の崩壊から
ナチスの台頭への道と相似した経緯をたどっている。


朝・韓・中を目当てにした排外主義の動きは、ワイマール体制下の国民社会主義の台頭に相似している。


あの時も、弱いワイマール共和国下で、左派勢力も拡大し、それと呼応するようにナチス運動も拡大していった。左派とナチスには、違いもあったが、共通点もあった。敗戦国として、沢山の賠償金を課され、苦しさは、諸民に直撃し、その苦しさからの運動であった。ナチスは、ゲルマン民族主義(排ユダヤ民族)であり、共産主義にも敵対的であったが、労働者、諸民の苦しさを吸収してもいた。左派とナチスのデモはともに激しく、しばしば街頭で衝突した。社会主義ナチスは同じ階級の人々の要求をうちにもっいてた点で共通していたのだ。

だが、ナチスは、労働者的な部分を粛正し、社会主義に対しては、国会焼き討ちの犯人にでっちあげる陰謀で弾圧し、最終的には、クルップら、支配階級の資本家たちと手を結ぶことで、支配の座につく。ファシズムの完成であった。
そうして軍事産業に力をおいて、諸民の生活を一時的に楽にし、過酷な賠償金を課してくる外国に敵意をぶつけながら、傷つけられていた自尊心にうまい代理物を提供する。


第二次大戦の敗戦国、日本もある意味で似ていた。だが、アメリカは、冷戦期の対ソ連中国の基地として日本を機能させるため、戦時賠償金を免除するように積極的に動いた。中国、ソ連をはじめとする各国は、基本的に日本から賠償をとらなかった。代わりのものはあったが、援助のような互恵の形をとった。この点で、日本の戦後民主主義のおかれた経済的条件はドイツのワイマール共和国より、きびしくはなかった。経済発展もしやすかった。その結果、左右の対立も、体制の転換に対する渇望も、かつてのドイツより弱く推移した。平和ぼけといわれることもある日本の戦後の平和なるものは、そのようにして続いたのである。

だが、東欧とソ連社会主義の解体は、冷戦を終わりにして、アメリカはそれまでのように、日本に配慮する必要を失った。1990年代から日本はさまざまな経済要求をつきつけられ、その直前には、アメリカの経済をも抜こうというほどだった日本はたちまち、バブルの崩壊という形で不況に追いやられた。アジアの国々からは、がまんしていた賠償問題がどっと吹き出した。従軍慰安婦問題もその一環だった。
 そもそも、敗戦後、ずっと、日本はアメリカ軍の占領下にあったといってよく、中でも沖縄に一番負担がいくような形になっていくのだが、冷戦後は、その従属性、属国性がよりあからさまになっていく。しわよせの日本不況から、自殺者も増大し、ついには、どんなに幻想を持とうとしても、日本が独立国などではなく、アメリカの言うなりにならざるを得ない國だったのだとわかるようになった。


そして、3.11である。この国難に際して、平和勢力も、ネトウヨ保守勢力も危機感をいだく。脱原発のデモにふつうの諸民が多数加わるようになるとともに、ネトウヨは、排外主義(同盟国だった韓国に対する)を組織したフジテレビデモを実行する。そこにも普通の若者(出口のない貧困層)が参加している。かつてのネトウヨは、小泉首相の応援団にすぎず、現状肯定で独自の行動を持たなかったのだが、政治の液状化を前に、自分たちが力を行使できることを発見して、喜んでいる。脱原発と、排外主義はかかわる階級をほぼ同一としながらも、一部重なりつつも、両立しないような形で展開しつつある。
両方ともに、運動としては、まだ大きくなってはいない。衝突も本格的には生じていない。だが、規模が拡大していけば、かつてのワイマール共和国のような左右衝突が起こる可能性は十分ある。

排外主義は、もし、フジに譲歩をさせられるなら、次にはたとえば、NHKの平和主義的な特集番組(戦争をふりかえる様々な番組)を韓流の次の偏向標的として攻撃しはじめるだろう。菅井はフジテレビデモを支持しないが、その理由はその点にある。
自分たちの気に入らない報道や番組、事実を流させないぞという「デモ」は、決して基本的人権に基づいた本来の諸民の権利としてのデモではない。


すでに、ワイマール共和国末期と相似した展開の中にわが國は入っているのでは、と菅井は感じている。


だが、かつてのドイツとは違う点もある。ナチスドイツは再軍備をし、結局はポーランドをはじめとして、ヨーロッパを征服することに、矛盾の解決を求めた。大日本帝国は、満州(から中国、南方アジア)に矛盾の解決を求めた。


だが、今の日本が9条を廃止し、再軍備したとしても、独立国としてふるまうことは不可能である。アメリカ軍の一部として、献身的な振る舞いをさせられることにならざるをえない。

占領すべき、「ヨーロッパ」は、「満州」は、今の日本には、たぶんみつからない。


ネトウヨ、行動保守の求める方向は出口のない袋小路のようにみえる。満州だって、結局は解決にならなかったが、数年の時をささえ、昭和初期の帝国体制の危機をすくうことにはなった。もし、今だってそのようなものが見つかるならば、諸民側はまた敗北するかもしれない。


事物の必然性は、大きくは、かつてと同じような道を我々に強要している。だが、同じではないだろう。人もちがえば、時代も環境も変わっている。