ファシズムの二種

 ファシズムとは、資本主義が自前のコントロール装置で社会と経済を運んで行くことができなくなったとき、システム維持のための最後の手段として登場する強圧による支配のことだ。社会の敵が、機能しなくなった資本主義システムであることを正確に認識するのではなく、特定の民族(ユダヤ人)、社会グループ(公務員、左翼)を敵とみなして、人々の不満をそこに集中させることによって、支配をすすめることになる。排外主義、偏狭な民族主義ファシズムの不可欠な要素である。
 だから、ファシズムを見る場合は、支配者である独占資本の動向が重要だ。ヒトラーのナチズムにおいても、クルップら独占資本がそれを支持したとき、その支配は確実なものとなった。
 第二次世界大戦前の経験によれば、ファシズムには上からのファシズムと下からのファシズムがある。ドイツやイタリアは下からのファシズムであり、日本は上からのファシズムであった。日本でも226北一輝など、下からのファシズムの契機は存在したけれど、鎮圧された。というか、上からのファシズムで済むかぎりは、下からのファシズムの出番はないといったほうがよい。
 今の日本を考察してみる。資本主義は繁栄をもたらすことができなくなって十余年、ついに東北大震災と福島原発事故によって致命的な打撃を受けた。震災復興の遅れは、阪神震災の時と比べれば一目瞭然であり、原発事故の後始末に至ってはまったく見当もつかない。政府は、率先してこの問題に当たっているというよりは、企業の利益を求める衝動に、瓦礫処理も除染もゆだねている。
 だが、そうした資本主義の利潤が上がらなければ仕事をしないしくみでは、この二つの問題を抱えてしまった日本は立ち行かないところまで来てしまったのではないか。

 だまらせるためのしくみ、ファシズムの出番が来ているのである。とりあえず上からのファシズムの動きが始まっている。野田政権の諸民の声を聞かない、強引に増税、TPP、原発再稼働への動き、国民総背番号制ネット規制などはそうした動きである。これほど人気のなく、公約にそむいた野田政権が、平然とこうした行動をとっているのは、財界の支持があるからである。今の民主党野田政権の方向で、このまま、人心をつかめるのなら、財界はそれがいいのである。だが、選挙がある。不人気である。そして、放射能汚染の健康への被害は次第にはっきりとしていく。政府はそれを決して認めようとしないが。
 橋下と維新の会は、上からのファシズムがうまくいかないときの、予備としての下からのファシズム候補として存在している。彼らの手法や、民主主義(基本的人権)に対する無感覚は、立派なファシズム候補生である。
 下からのファシズムは、諸民の不満に依拠する以上、一時、民主主義と勘違いされやすい。しかし、精神においては、正反対のものであり、展開していくなら、実際にも相容れないものになっていく。
 

 上下両方のファシズムを打ち負かして、日本に真の変革が訪れる道筋はいかなるものだろうか。