諸民の文化

諸民の文化を
支配的な文化から自立させること。

諸民は、余裕がない。お金に余裕がない。気持ちに余裕がない。時間に追われている。今の社会に有用な能力がない。
あるのは単純な能力である。
だから、諸民に文化なんていうことを言うことは無意味だし、支配的な文化から、独立した文化なんていうのもあるはずない、という考えがある。

だが、諸民の生活自体が文化なのだ。そういうことに思い至った。


それと、別のことだが、格差の進行で中産階級がいなくなっているのにたいして、中産層の再建という主張が結構ある。
菅井はそれは間違っていると思う。諸民の一部であっても、当たり前の暮らしを獲得するようにすること。中産層ではなく、労働者の先進的な部分がより人間的で当たり前の生活を獲得することが問題なのだと思う。
見方の違いにすぎないだろうか。そうなのだ。見方の違いにすぎない。だが、展開していく先は分かれていく。

それと、諸民の生活自体が文化であることとはつながっている。