村上春樹新作レビューから  2

つぎに、私が読んで他にもおもしろいと思った感想を同じくアマゾンから抜き出してみます。

5つ星のうち 4.0 沙羅という女性, 2013/5/6
By すかみや
村上春樹さんの本は今までノルウェイの森しか読んだことがありませんでしたが
今回、冒頭を流し読みして興味を抱き、購入に至りました。
※下記ネタバレを含みます。
結論から言いますと、人を本気で好きになれない人、
また、その人を好きになった人を対象に描いたもので、
上記のような経験がある人にも読んで欲しい本だと思いました。
前者がつくるくんで、後者が沙羅なのではないかと。

本気で好きになれないのは、その先にあるかもしれない孤独が怖いから
本気で好きになれるのは、孤独を幾度と乗り越え理解した経験からの強さがあるから

経験を人生の道と例えるなら、
その経験を積んでいて理解していた沙羅は、
つくる君が今どこの道にいるのか、どこで立ち止まったままでいるのか分かっているように思いました。
だからこそ、早く自分と同じスタートラインまできてほしい
自分を追って、本当の「多崎つくる」にまっすぐ見て欲しいと思い
進むべき道の選択肢を与え、導き、その道をつくる君が巡礼という形で
廻ったのではないかと感じました。

つくる君が信心深い巡礼者であるならば
例えるなら沙羅は聖なる存在で
懺悔できる神様みたいな対象なのではないか、と。

だからこそ、彼女から言われたとおり聖地を巡礼して
最後に彼女の元に戻ってきた。

すべて今まで抱えていたものを禊落として、やっと0の自分に生まれ変わって
沙羅と同じ位置に立って、そこで「本当の多崎つくる」として告白をする。

最後はご想像にお任せします、という終わらせ方が憎いですが、
私はきっとうまくいったと確信しています。

村上春樹さんの作品はノルウェイの森しか読んだことがありませんが、
その本より今回出された本の方が好みです。

この本を読んで、私も沙羅のように
器の大きい女の人になりたいと思った作品でした。

また、つくる君に感情移入した方だけではなく
クロや沙羅に感情移入出来た女性の方もなんとなくすっと
禊落とされるような気持ちになるのではないでしょうか。



5つ星のうち 5.0 私は面白かったです。, 2013/5/6
By suzuki

お値段もそれほど高いとは思われません。作家が時間をかけて書いた作品を、購入者である読者は、それこそあっという間に読み終えてしまって、また違う作品に興味を移して行くのですから、これほどの贅沢はないと思います。昔は、村上春樹さんの作品を読むと、自分がすごくダメな人間に思えて嫌になってしまいましたが、「1Q84」を読んでからというもの、こんなヘンテコで面白い作品を書く人だったんだと、考えを新たにしました。この作品にも、個人的に心を打つ言葉がいくつかありました。優れた作家というものは、人の心が持つ秘密をたやすくあばき出すのでしょう。それはとても怖いことではあるけれど、快いことでもあり、だから私は本を読むことをやめられないのかもしれません。



5つ星のうち 5.0 どこにでも排泄してしまうひとたち, 2013/5/7
By
田崎つくる
でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の話を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解してないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。彼らは自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。僕が本当に怖いのはそういう連中です。




5つ星のうち 5.0 ひとつの集大成。, 2013/5/4
By
餅太郎 ((東京都新宿区)) -
「ねじまき鳥」「カフカ」など、
イラっとする作品もありましたが、
ここへきて、暗喩として投げっぱなしに見えていたことが、
ようやっと、小説のなかで見える形で像を結んできたなあ、
と、偉そうにも思いました。

村上春樹の小説は、どれもこれも、
「ファンタジー」のように、つかみどころのないところが
魅力だったのだけど、それを脱皮したのではないか、
ということです。

翻訳については、
『心臓を貫かれて』など、なまなましいドキュメントを上梓したこともあり
さらには、『アンダーグラウンド』では、自ら、インタビューを行なって、
「現実」を描きました。描いたというよりも、
「現実と自らを結びつけた」という気がします。

これまでの「ファンタジー」としての小説と、
「現実に人が抱えている痛み」を、結び付けて作品化したのが、
この『多崎つくる』ではないかと。

フィンランドの森の風景も、匂いも感じられるような小説を、
村上春樹の作品で、読めるとは思ってなかった。
いいですね。


5つ星のうち 4.0 面白かったです, 2013/5/3
By
猫娘。 -
まずはじめに、私は村上春樹の過去作品を読んだことがありません。故に「村上作品はこうあるべきだ」とか「前作を越える作品を期待して」などといった事は一切考えず、村上春樹というブランドの凄さも知らずに読んだクチです。それなのである意味、この作品に対する感想は何の偏見もなく、率直なものであります。読む前は色彩を持たないというフレーズから色盲の青年を想像していましたが、実際はまったく異なりました。しかしながら良い意味で裏切られた感があり、物語のスピード感もあり、中盤あたり(過去の友人を訪ね真相を聞くあたり)が一番引き込まれました。しかし、ラストは尻すぼみというか、綺麗ではあるのですが、もう少し一悶着あってから終わって欲しかったような気はします。まぁ、真相が分からないほうが面白く創造力をかきたてられるという事も少なからずありますが。村上春樹を毛嫌いしてこれまで読んでこなかった自分としては、この作品をきっかけに過去の作品も読んでみたい。そう思えた作品でした。個人的には読みやすいし、飽きずに楽しませてくれる作品だと思ったので、小説玄人より、小説バージンな人にこそ読んでほしいと思いました。平易な文体で綴られているので、小難しい顔をせずにサラッと読めますし、そのようなサラッと読みたい方におすすめしたいです。個人的には好きですよ。映画化とかしてほしい。そう思いました。そのほうが作品の魅力がもっと伝わる気がする。


5つ星のうち 2.0 よくわからないまま終わった, 2013/5/2
By
わこ -
1Q84を読んでから村上春樹さんに興味をもった新参者ですが、雰囲気は似ていると感じました。

ただ、いろいろな思わせぶりが解決されないので、よくわからないまま終わってしまった感じです。
友人との再会もなんだか平凡で、想像力をかきたてられていたわりにがっかり。
ガールフレンドとの関係もよくわからない・・・

こういう哲学的な(?)作風が受けているのでしょうか。


5つ星のうち 4.0 相変わらずの村上氏の中編小説。風の歌を訊け、1973年のピンボール(これらも中編)から脈々と描き続けているテーマは変わっていません。, 2013/5/1
By
samsh tomato -
村上春樹らしい小説で安心しました。それと同時に、この小説の文章には多くの共感すべき言葉たちがありました。
 村上春樹が描く物語の主人公はだいたいにおいて、その時代時代の若者たちを描いてきました。
 今回もそのご多分に漏れず、2010年代の若者らしい主人公であったように感じます。
 僕も23歳の若者として、自分が色彩を持たない空っぽの容器だと、何の中身のない人間なのではないかと生活の中で感じることが多いです。周りの人間が、煌びやかで目を奪われるような色彩を持った素晴らしい人ばかりだと感じることも。それなのに自分は、地味で、個性も無くて、彼らみたいに色鮮やかに自分を見せる事の出来ない人間だ。色彩を持たないうえに、中身もない空っぽな人間だ――現代の若者で同じようにそういう悩みを抱えてる人は多いのではないでしょうか。特に草食系と呼ばれるような人種に。周りの人間がいやにキラキラして見えて、自分は無色のダメ人間だと感じてしまう劣等感の強い人が。

 本書の322pにこのような文章があります。

『入れ物としてはある程度形を成しているかもしれないけど、その中には内容と呼べるようなものはろくすっぽない。自分が彼女にふさわしい人間だとはどうしても思えないんだ』 

 髪の色を鮮やかにしたり、服装に気を配ったり、メイクやファッションを駆使して自分をよく見せようとする。入れ物としての自分はきれいに保っていながら、しかし実際に自分の中身など空っぽなのではないか。大好きな人に対して、自分はふさわしい人間ではないのではないか。これは現代の若者が(無意識的に)抱えているテーマだと僕は思いました。
 身なりばかり整えて外見で勝負する人ばかり増えている。或いはそう言う人たちばかりがテレビや映画、漫画などに出て来て、称賛を浴びている。イケメン美女、至上主義。だけど中身という物が無い。
 それが現代の流行になってしまっている。
 かと言って、それを指摘する自分には色彩もないし、同じように空っぽな人間なのではないか?

 本書はそのような、自分を地味で無色な人間だと思い込んでいる人の物語です(村上氏の主人公らしくハンサムボーイですが)。目を奪われる色彩(勉学の才能だとか、可憐さだとか、ジョークの才能、社交性etc...)によってしっかり自分を持っている人たち。そのような人たちから切り捨てられ、孤独に打ちひしがれながら生きる男が主人公。色彩を持たない多崎つくる君。
 この物語で延べられる色彩と言うのは――先程も少し述べましたが――分かりやすい”才能”や”個性”であると僕は解釈しました。色彩を名に持つ登場人物には、それぞれわかりやすい才能なり個性なりがあります。しかしつくる君の個性や才能と言えば、駅を作る事。駅を眺めるのが好きな事。とても地味で分かりにくい才能です。自分が色彩を持たないと感じてしまうのも、なんとなく頷けてしまいます。もちろん駅の建設は、とても重要で素晴らしい職業であり、駅を眺めることも彼の職業的資質であることは間違いないのですが。
 この物語は、そんな地味な彼が色彩を持つ友達とのグループを追い出されて、孤独に打ちひしがれている場面から始まります。どうして自分は親友だった彼らに裏切られたのだろう。自分は色彩を持っていないからなのか? そんな悩みを巡り、色彩を持つかつての友達の元へ、16年ぶりに巡礼に向かうのが、この物語の大きなストーリーです。と言っても、よく分からないかもしれませんが;;(説明が下手糞すぎてすみません)

 この作品を読んで僕が感じたのは、簡単に言えば下記の事です。
 大切なのは色彩じゃない。生きる上で重要なのは目に見えるカラフルな能力ではない。着実と、しかし確実に駅を作り修復し続けていく能力である。
 自分を飾るのではなく、たくさんの人を迎え入れて送り出せる素敵な駅なような、そんな心を作って行けと。
 多くの人をありのままに受け入れ、見守っていく広く頑丈な心を持つことが現代に必要なのではないか。
 裏切りの犠牲者であっても、色彩を持たぬ人物でも、一人一人が自信を持ち生きていけばいい。そして自らの心に駅を作ったうえで、好きな人を迎えに行き、わが町へと戻ってくればいい。
 23歳である僕に向けて。この時代に生きる人に向けて。村上春樹からは、そんなメッセージを受け取ったような気がしました。相変わらず人にやさしさを与えるのが得意な作家さんです。

 この社会の中では全ての人が犠牲者である。何らかの形で友達に裏切られ、理不尽に追放され、大切な繋がりを失ってしまう。現代社会の組織内ではそういう事が往々にしてある。友情においても恋愛においても。けれどその中で培った、青春時代や若い時代の繋がりは決して色あせることない痛みであり喜びである。人はそれを抱えながら精神的に参ることもありながらも、繋がりを維持するために生きていかなければならない。たくさんの駅や路線を繋ぐ電車を、迎え入れる場所として。そんな文学的メッセージがあるようにも感じました(この見解、及びこのレビューでの僕の見解全てがまったくの的外れかもしれませんが……)。

 ちなみに星を一つ減点したのは、出来事の何もかもがうまく運びすぎていて、それが物語を動かすための都合のいい展開になっているような気がしたからです。
 少なくとも、その展開に説得力が感じられなかった。出来事のあらゆることが運命的すぎて、少々話が地から浮きすぎていると感じてしまいます。そこにもっと読者を納得させるような説得力があればよかったのですが……。村上氏の作品がそういうものだと言われればそうなのですが、昔はもっと運命的な出来事に対して細かい事象や理由を書かれていた気がしたので、今回はちょっと物語を急ぎ過ぎている気がしました。ただ、物語の内容や、比喩などは相変わらずだったので個人的にはよかったのですが。そこが少し気になりました。ユズの妊娠についても、何故それが話の中に登場したのかよく分かりませんでしたし……。

 まあ、ともかく。スプートニクアフターダーク等、氏の中編は実験的なものとしての作品が多いので(この作品も同じ色合いに感じます)、次の作品にも大いに期待です。恐らく長編を書かれるのではないでしょうか。これは僕の勘です。



5つ星のうち 4.0 知覚の扉, 2013/4/30
By
bunocio (大阪府岸和田市) -
高校時代にボランティア活動で知り合った友人4人と、
何人も立ち入ることの出来ない完璧なサークルを形成していた
主人公の田崎つくるが、ある日突然、理由も告げられず、
彼らから絶交を言い渡される。
死への淵を彷徨うまでに思いつめ、心に傷を残したままの田崎つくるは、
16年後、上司の紹介で知り合った木元沙羅という2歳年上の女性から、
「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、
それがもたらした歴史を消すことはできない」「自分が見たいものを見るのではなく、
見なくてはならないものをみるのよ」と、過去と正面から向き合う事を促され、
友人たちひとりひとりを訪ねる巡礼の旅に出る。

ノルウェイの森」から4半世紀が経ち、新たに村上春樹が書き下ろした
喪失と再生の物語は、ビートルズからフランツ・リストのピアノ独奏曲「巡礼の年」に
音色を変えて、64歳と老齢の域に達し、東日本大震災の惨状を目の当たりにした後の
死生観が色濃く反映されていて、文中に言及されているように、オルダリ・ハスクレーが
考える「知覚の扉」を木元沙羅によって開けられた田崎つくるが、言語や哲学と言った
脳の機能によって制限されていた、物事のありのままの本質を垣間見て、
抑圧から解放され、「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃない」事を知るのです。

4人の友人たちには、赤松慶(あかまつ けい)青海悦夫(おうみ よしお)
白根柚木(しらね ゆずき)黒埜恵理(くろの えり)と名前に色が含まれており、
色彩のない無個性な田崎つくるに疎外感を与える原因になっていますが、
本作ではこの色彩が重要なファクターになっていて、大学で知り合った
灰田文紹(はいだ ふみあき)は、白根の白と黒埜の黒を混ぜれば灰田の灰色になるように、
彼女たちからの、特に白根からの伝えなくてはならないメッセージの担い手としての役割を
与えられていることは、田崎つくるが見る、白根と黒埜との3人で交わる性夢で、
射精を受け止めたのは白根のヴァギナではなく、灰田の口だったという箇所で
表現されています。
また、名前に色はありませんが、「知覚の扉」を開いた木本沙羅の沙羅とは、
釈迦が涅槃(人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態)の境地に入った
臥床の四方に植えられていた木の事で、時じくの花を咲かせ、たちまちに枯れ、白色に変じ、
さながら鶴の群れのごとくであった(出典:「鶴林」)とあるように、
枯れて白色に変じた状態は、沙羅が、殺害された白根の化身であることを意味しています。

小説を書く上でのキーワードとして、アフォリズム、デタッチメントからコミットメントへと
変遷してきた村上春樹は、今回も、拒絶された友人との関わり(デタッチメント)から
逃げていた主人公が、恋人に背中を押されて、真相を知る(コミットメント)ための旅に出る
設定をとっていますが、煮え切らない主人公の目に映る光景が平板なので、
ストーリーから受けるインパクトが弱く、さらにカフカ的な世界観を期待したファンには
味気なさが残るので、もう少しスパイスが欲しいところでしょうか。
ただ、ノーベル賞候補にもなる作家ですから、行間に張り巡らされた伏線は奥深く、
読むたびに新たな発見がある作品です。

知覚の扉澄みたれば、人の眼に
ものみなすべて永遠の実相を顕(あら)わさん。
(ウィリアム・ブレイク)




5つ星のうち 5.0 文章がうまい、起承転結もうまい, 2013/4/30
By
anoono "me489054" -
他におもしろい小説はいっぱいあると思うから、話題の作品だと期待して読もうと思うなら、けっこうがっかりするかもしれません。
ですが、文章は難しくなく、わかりやすい流れと、最後まで読み終えることができるボリュームの作品であることは確かです。
シロの身に起こったエピソードがもう少し意外性の高いものだともっと楽しめたとは思うけれど、
人間の強さの度合いが、自分の若かったころとはきっと違うのだろうと思うと、理解できないなりに、
“今ってこんな感じなのかもね。”と納得できるというか、教わる感じがありました。
自分の内面を説明するための比喩的な表現や、夢の使い方など、さすがに評価の高い小説家さんだなと思います。
ムキにならずに、ひとつのお話として読むには、十分楽しめる作品と感じました。