憲法を変えようとしている力

 マスメディアによれば、アメリカにいったアメ官房長官は、ラムズフェルド米軍長官と会見、軍事同盟強化の要求をお説ごもっともと聞いてきたようである。

 国防総省ラムズフェルド国防長官と会談した安倍氏は、在日米軍再編協議について同長官から「しっかり進めていきたい。同盟強化が米軍再編の目的だ」と言われ、「日米同盟関係はしっかり機能しており、両国首脳の関係もいい。これは、地域や世界の平和と安定に大きく貢献している」と評価された。(時事通信5/5から)

ということである。

 これが示すことは、アメリカの要求は、日米軍事同盟の強化であり、憲法「改正?!」なるものが、国民の間に問題となっていない今、メディアと支配政党によってさわがれているのも、アメリカのこの要求によるものだということである。

 日本国が世界でしめている役割が何であるか、日本国の国策が誰によって決められているか、はっきり示している。いい子にしてれば、常任理事国にしてあげてもいいよ、ということだ。日本の人と国土を愛することとこうした動向が関係ないこと、改憲派の心を突き動かしている動力が、アメリカへの恐怖と人民憎しであることを例証している。

 アメリカへの恐怖と人民憎しの心情が、新自由主義派の根底にあり、それが、日本の国益を否定するまでになっているのが彼らの現実の姿である。それは、外国から見たら、自立どころか、見難い(醜い、見っともない、見たくもない、)アメリカへの追従としか映らない。アメリカは確かに経済的にも軍事的にも強いが、神ではなく、現実界の有限存在である。さまざまな条件に拘束されている。その限界を客観的にとらえられないことが、彼らの致命的な欠点である。
 ある論者は、日本庶民の追いつめられたゆとりのない生活が、新自由主義者たちのルサンチマンと結びついて、日本は排外主義的民族主義ファシズムに向いつつあると考えている。

 だが、イラクへの自衛隊派遣とイラク占領支援を続けていくような状況のもとで、アメリカとの軍事同盟強化が求められていくような流れは、日本独占にとっても、日本の人民にとっても利益のない、堪え難いものである。上記の結合は、第2次世界大戦前のようにうまく行くだろうか。

 アメリカは日本との軍事同盟の強化を求めている。アメリカにとっての在日米軍再編とはそのことだ。日本がアメリカとの軍事同盟強化の要求を拒む唯一の手段は、日本国の平和憲法である。
 アメリカとの軍事同盟は次のことを要求する。
 日本国憲法の平和主義をやめよ。アメリカの恐怖と力による支配の政策とは全く反するものだから。
 自衛隊を軍隊にせよ。つまり、9条2項を廃棄せよ。「血を流せ」とは、アメリカ軍に協力して戦争をせよ、自衛隊員に他国民を殺させよ、そして、自衛隊員も死ね。アメリカの志願した貧しい階層の兵のように。

 今までアメリカの軍事的要求の圧力に抗してきたのは、憲法第九条、とりわけ軍隊を持たないことを明示した第2項である。それを守ることは日本の国益を守ることであり、強いていえば、アメリカの占領下60年ですっかりアメリカ文化に骨抜きにされた日本人が独立していく出発点とするべきである。
 
 当面、次のことを考えたい。
    1 今、ここで生じている改憲への動きはアメリカの要求によっていること。内発的ではない。
    2 日本の平和主義にもとづく外交において、軍隊ならざる自衛隊とは何かがはっきりしないと、その意義は確定できないが、自衛隊と軍隊は違う。自衛隊を軍隊に変えてはならない
    3 日本の平和主義について考える。日本の歴史を明治までしかさかのぼらないのはまずい。
帝国主義的考えは、江戸時代の知識人の中にあったが、明治前半がそれを準備したとはいえても、本格的に戦争をして侵略をするようになるのは、わずかに50年ほどの期間である。そして、うまくいかなかった。
 秀吉の大陸侵略政策の失敗をとりもどすのに、江戸の泰平の代があった。

 戦国時代の悲惨が日本人の平和志向のもとになっているのではないかと思うのだが、ゆきゆき亭という連歌俳諧を中心としたホームページに、古典に『水無瀬三吟』という連歌作品があり、それは応仁の乱以降の戦乱の世を鎮めるための平和祈念のコンサートともいえるものだったと書いてある。その250年も前に恨みを抱いて死んだ後鳥羽院のたたりが乱世の原因と考えられていたようで、それを鎮めるためのものだったそうだ。