三島由紀夫の文学観

 ネットで歌舞伎「合邦辻」にかかわって三島由紀夫をとりあげた文章を見つけた。その一部を抜粋引用する。

《 (4)作家は死ぬべきか

昭和43年の対談で、その2年前に八代目団蔵が入水自殺したことに触れ、三島は次のようなことを言っています。歌舞伎の名優は自分は死なないで死ぬ演技をします、それで芸術の最高潮に達します。しかし武士社会でなぜ歌舞伎役者が河原乞食だと卑しめられたかと言うと、「あれは本当に死んでないではないか」とそれだけだ、というのです。「芸術というのは全部そういう風に河原乞食で、なんだおまえはお前は大きなことを言ったって死なないではないか、と言われるとペチャンコですよ。」この三島の発言に埴谷雄高氏が「僕は暗示者は死ぬ必要はないと思う。死ぬのでなくて、死を示せばいい。」と言うと、三島は「いや、僕は死ぬ必要があると思う、それは歌舞伎俳優と同じだ。」と反論しています。(対談「デカダンスと死生観」昭和43年)

これについては「葉隠とわたし」(昭和42年)という文章のなかでも三島はこう書いています。「葉隠が罵っている芸能の道に生きているわたしは、自分の行動論理と芸術の相克にしばしば悩まなければならなくなった。文学のなかには、どうしても卑怯なものがひそんでいる、という、ずっと以前から培われた疑惑がおもてに出てきた。・・葉隠の影響が、芸術家としてのわたしの生き方を異常にむずかしくしてしまった。」》 以上引用


 僕には、ここにある三島の発言より、埴谷雄高の発言が興味深かった。死ぬのでなく、死を示し続けたのが埴谷雄高その人だったと思うからである。埴谷氏ももちろん亡くなったのであるが、その立場を捨てたのではなく、その立場から氏が自身の死とともにおりたのである。その立場を氏に代わって継承したのが誰か、あるいは今存在しているかは、ぼくにはまだよくわかっていないけれど。

 また、ここに見られる言い方は、死を生にいいかえてもなりたつと思う。舞台の上の死がほんとうの死でなく、想像力の中の死であることは、舞台の上の生がほんとうの生ではないのと同じだ。
 そして、どちらかといえば、三島は、死を生と言い換えて問うべきだったのであり、孤立した個人としてではなく、連帯の中にある諸個人として問うべきだったのだ。
 三島は、支配階級の、超越的美意識と、階級弾圧のリアリズムとの分裂を正しく意識し、そのごまかしを正当に見抜いたといえよう。そして、殆どの支配階級は、そのような悩みを生きることなく、一方から他方へ、他方から一方へと、状況によってずるずるっと移行するのであり、その二枚舌に翻弄されるのは、賃労働者の側なのだ。
 その賃労働者階級は、芸術か芸能かなどということにはこだわらないし、それが、階級闘争の中にあることもよく知っており、舞台の上でも舞台の外でも、良く生きるには何をすぺきかが問題だということがわかるのである。

 なお、葉隠が芸能を罵っているとありますが、それで思い出したのは、フランス革命を生んだ民主主義思想家ジャン・ジャック・ルソーが演劇を否定していたということです。「演劇についてーダランベールへの手紙」(岩波文庫)がそれです。