ひさしぶりです。
その間、ボクにとっては怒濤の日々でしたが、日本という社会も、越えてはならないラインを越えてしまいました。



とりあえず、再読した大塚英志憲法力」(2005年7月10日刊 角川oneテーマ21新書)からいくつかの文を引用します。

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〈ぼくたちが無批判に信じている「伝統」というものは、(ヨーロッパの19世紀に生じた)進化論的思考の副産物であることを考えていく必要があるのです。〉

〈(進化論の流れにある優生学の概念である)「心的領域の遺伝」こそが、われわれが今「伝統」と呼んでいるものや、日本人の本質、特性、共通性といった仮構概念の前提になっているわけです。〉

〈われわれは万世一系の血筋と日本の文化的伝統を切り離して考えることができなくなっている。〉

〈「伝統」は「血筋」のように続いてしかるべきだと考え、そのような感受性はむしろ拡大しているから、そこかしこで「二世」、「三世」がもてはやされる。〉

〈そもそも日本人論や日本文化論はトンデモ本なのだと冷静に判断しなくてはいけない。〉



〈だから、大切なことは、「お互いがわからない」ことを認めあい、「だから言葉が必要だ」「ではどういう言葉が必要なのか」という論議を立てていくことなんです。〉

〈この「他者と交渉することば」を信じろということこそが、日本国憲法第九条および前文が示している真のメッセージだとぼくは考えます。〉

                            *()内は菅井の補足。