証拠を探す

「不許可写真史」(毎日新聞社刊)という本を古本屋で見つけた。1500円と、ちょっと高かったのだが購入した。
毎日新聞社が、基本的人権の制限されていた戦時中検閲で不可となった写真を保存していて、
それを中心に、検閲制度の廃されている戦後に出版したものである。
ここには、日本軍が南京事件でおこなった行為について理解するための参考になることが読み取れる。

《13年2月22日 山西省ロアン南門付近で撮影したが、厭戦気分をもよおすことを理由に
不許可となるのがわかっていたので、検閲をうけず社内極秘として秘かに保存されていた写真》
とコメントされている。
南京虐殺のあった12年の翌年。場所はちがうが、日本軍はこういうことをしていたということだ。
それから、このような写真があったとしても、それは発表不許可になっていたのだということ、
しかも、こうした写真は民間(新聞社を含む)が持つこと自体、禁止されていたのだ。
毎日新聞が内緒で秘匿していなかったら、こういうことがあった証拠は残らなかった。
 この同じ本には、南京侵攻時の写真も3枚のせられている。
 一枚は、南京市内の路上に放置された二つの死体、どうみても民間人である。ファルージャ
など、いくつもの都市でアメリカ連合軍がしていることとおんなじだ。

 もう一枚は、市民のふりをして市民の中にまぎれこんで逃げようとしてつかまった「中国兵たち、
5000人くらい」。だが、このたくさんの人がみな軍人であるということは確実だろうか。
疑わしいと思ったら撃つ、というのが、イラクファルージャで掃討作戦にあたったアメリカ軍の
やり方だが、それと同じことだ。
この5000人くらいの人の運命がどうなったか、本には書かれていない。
ただ、別のページで、当時取材にあたった毎日の記者が、「3000人が殺されたという噂を聞いたが、目撃できなかった」と、書いている。

 もう一枚の写真は日本兵が略奪した物資を運んでいるところだ。南京侵攻は、十分準備されたものではなく、日本軍は食料なども自前で調達せざるを得なかった。要するに略奪するのだ。日本軍の略奪に中国の人は唯々諾々と従っただろうか。そんなことはあるまい。南京大虐殺の人数についての論争があるが、南京にはいってからだけ、虐殺は行われたのではない。そして、南京にはいってからも、略奪はあったということだ。
 昔、我が国の戦国時代の雑兵たちは、敵の村からの略奪で生活していた。略奪しては殺戮していた。中国大陸の日本軍も同じであった。


(不良少年ではない。つかまった中国の少年兵たちである。)

なお、この項目は、karenさんの以下のブログに触発されて書かれました、
彼女の発言と同じ方向の考えをボクも持っています。
愛と平和
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