証拠をさがす その4

証拠を探す その4(暫定的結論=ボクの立場の表明)

 南京大虐殺などなかったと主張する人がいる。ネットでも、過去に大論争が生じ、基本的に今もつづいている
 つまり、あったというもの、なかったというもの、わからないというものが併存しているということだ。
 だったら、ボクないしは他の人間が、虐殺はあったという見解(仮設)をとることは、当然許される。ないと言う仮設をとること、わからないと判断を保留することが許されるのと同様だ。虐殺があったという人間のサイトを、数をたのんだコメント欄攻撃で破壊しようとすることなど許されることではない。
 ボクは南京虐殺はあったと思う。
 まず東京裁判で裁かれ、確定している。東京裁判は、全体の枠組み、「平和に対する罪「人道に対する罪」の適用については、異論もあるわけだが、裁判中の多くの内容は、虐殺、捕虜虐待、など、その枠組みがなくとも、戦争犯罪になるものだ。南京虐殺はそこで証拠をあげて事実と認められたのだから、あったのだ。
 それと、日本兵の証言がある。日本はこの事件において、犯人側である。犯人は隠したいのが当然である。自分の不利益ばかりか、日本の不名誉になることだ。戦友たちにも責められる。「ない、なかった」としらを切るのが当たり前なのである。それなのに、告白している方がいる。彼らは戦友たちや右翼の大変な批難にあっているにもかかわらず、発言している。この問題では、沈黙している関係者、ないと請け合う日本側関係者が何万人いたとしても、それは信じるに値しない、というのがボクの見解だ。
 だが、そんなに隠していられるものだろうか、と思う人もいるだろう。ボクはできるし、戦争でやったこと(略奪、強姦、虐殺、人体実験、人肉食い、毒ガス使用等)については、沢山の方々が、沈黙し、墓場まで秘密をもっていってしまっていると確信している。隠すことは、本当は日本にとって損失なのだが。
 ボクの父も戦争に行った人間である。だが、戦争のときのことは、小さいころから何十年、自分から語ったことはない。語ることは、徴兵検査入隊後、病気持ちということで一週間で帰されたのだが、次の年の検査の時はまた同じだろうと思ったら、そのまま中国大陸の部隊に行かされてしまった。向こうでは結局病気が悪化して入院したこと。帰る時には何にも持ち帰れなくて飯ごうと病院のシーツでつくった中国服ぐらいだったこと。一般人から軍人になるまでのところは何度も何度も聞いたことがある、あとは帰る時のことばかりで、戦場のことは言おうとしない。一度、塹壕に入っていて敵の玉が鉄かぶとにあたって一周して出ていって、九死に一生を得たという話をしたことはあるが。 

 それから、当時の日本軍の記録がある。敗戦のとき、沢山の軍の記録が処分され隠された。連合国の手にわたらないようにしたのである。だから、虐殺の記録など残るはずがない。記録がないことは、なかった証拠にはならないのである。なのに、多くはないが、はっきりした記録が存在するなら、それは信頼に値する。

 それらの情報は「南京虐殺」でネットを検索すれば誰でも知ることができることだ。
 

 ボクの父は、南京攻略の時はまだ内地にいる子どもだから、もちろん虐殺があったかどうかは見ていない。だが、その父は「あの時は特別だったのだ。自分も昭和19年に日本軍治下の南京に行ったが、その時は平安そのもので、中国人とも仲よかった」と言っている。

 2チャネラーネット右翼の諸君だと、戦争に行ったのはおじいさんになるだろうか。ひいおじいさんかもしれない。彼らはおじいさんからどんな戦争の話を聞いているのだろうか?