証拠をさがす その3

昨日に続いて「元兵士が語る戦史にない戦争の話2」(曽根一夫著 恒友出版 1998年刊)である。

昨日のおさらいをすれば、南京城内に入るまでの日本兵の置かれた情況は次のようなものであった。
上海攻略は、4万人もの死傷者を出すほどの激戦であったが、勝利することができ、
生き残った兵はこれで和平がなって内地(日本)へ帰還できるだろうと期待していた。
ところが、上海の戦闘終結10日もたたないうちに、今度は「南京へ向けて攻撃前進せよ」との思いもよらぬ命令が下ったのである。南京は蒋介石国民党政権の首都な上に、上海から300キロも離れている。
兵は失望落胆した。
おまけに、戦闘部隊と補給部隊の連携がとれなくなったのに、司令部は「糧秣は現地にて徴発、自活すべし」とひたすら進軍を命じた。この「徴発」と言う言葉、たてまえは、交渉しての強制買い上げであったのだが、実際はそんなことはいっておられず、その実態は中国人からの力づくの略奪であった。押し込み強盗である。兵にとっては、上からの絶対命令で逆らえないし、食料がなければ生きられない。軍隊内部の仲間意識もそれを強制した。そもそも南京攻略のため必要と正当化された忠義の行動だったのだ。
併行して、強姦も行われた。
こうして、上海戦ではほとんど蛮行の見られなかった日本軍は、南京へ向かう途上で、うってかわって蛮行をするようになってしまったのである。
ここにおいて、中国人は、上海の第三国機関に、助けを求める。実態調査がはじまる。
これはまずいというので、現地司令部はとりあえず徴発の禁止を命じたが、食料の補給はしなかったし、進軍停止も命じなかったので、徴発行為を止めるは不可能だった。部隊の中、下級将校は命令にしたがわなかった。だが、一転して徴発は見つかると軍法会議にかかる罪になってしまった。
こんな状態のもとで、徴発(強姦もだが)の証拠隠滅のために、「事を終えたら始末せよ」という命令が下った。著者は、中、下級の将校が出したのだろうと言っている。兵は徴発したら必ず殺戮しなければならない、ということになってしまったのである。
昨日はここまでだった。

きょうは、その続き、著者自身の体験が語られる。凄惨な事実の描写がある。だが、これを敢えて書いておられる著者の、戦争のほんとうの姿を伝えたいという気持ちをくんでぜひ読んでほしい。

 南京市内にはまだ入っていないのである。だがすでに、蛮行は起っていた。南京では急にうってかわって兵士が品行方正になったとは考えられない。だが、これら蛮行を引き起こした原因が補給を無視した無理な作戦と、上からの現地徴発せよとの命令であったように、その時問題になるのも、兵士たちの性向ではなくて、上の将官がいかなる命令を出したかであろう。このことはまた改めて足と頭をつかって探していかねば。

 戦争を知らない子供たちの一人であるボクにも、少し当時のことがわかったように思う。

 この本は南京虐殺そのものについては、あったことは当然とされているものの、具体的な体験が書かれていないのは残念なことである。占領後のことについては、次のような記述があった。


 この本は、下っ端の兵隊だった著者(雑兵のたぐいと自分のことを言っている)の戦争体験の本だ。著者はすこぶる臆病な、とても、戦争などに向かないタイプの人だったみたいだ。戦争時にも、仲間の兵から馬鹿にされたりしたんじゃないかと思う。それでも、戦場に馴れるにつれ、一応のことはする兵隊になった。三年余りで「幾人か」殺したと書いてあるから、そんなに「勇猛」な兵隊でなかったのだろうが。臆病なだけに、勇猛な人にはわからないいろいろなことにも気がついていて、兵の気持ちのことも出ていて、おもしろかった。引用でもわかるように、読むのを止めたくなるようなむごいシーンもあるのだが。むしろ、今の若い人が戦争にとられたら、こんな感覚に近いかもしれないとも思う。
 今でも手にはいる本(アマゾンやセブンイレブンにも載っている)なので、読みやすいし、普通の兵士の立場からの戦争について知る上で、ぜひ若い人にお勧めしたい。
 最後に、著者がこの本を書いたのは、強く平和を願う気持ちからだということがのべられている「おわりに」を引用させていただく。