「壊れやすい卵」という比喩の妥当性について

もっとも考慮すべき村上春樹スピーチ批判と菅井が思うのは、以下の坂のある非風景の文章だ。
はっきり批判されないことにした方も、このように感じたひとは多いだろう。
パレスチナの人は自分たちを 壊れやすい卵 と例えられることを拒否するのではないか?
村上氏の言葉は、本当に「卵」の側にたっているのか? またしても「そばに」立っているだけではないのか。


卵の比喩で菅井が思ったのは、実はパレスチナの民  ではない。精神を病んで自殺した「ノルウェーの森」の直子である。他の人も卵なのであるが、浮かぶのは彼女であった。繊細で、たしかに生きていた・・・ 
100パーセントの恋愛小説と名乗られた「ノルウェーの森」は直子にささげられたものである。話はフィクションだが、その感情は本当のことだと彼は書いていた。彼女は失われ、もどることはない。その時点で村上春樹は、それを文章にすることまではできるようになっていた。

比喩は比喩である。何かを伝えるためにあり、文脈があるのだ、と菅井は思う。イスラエルに行ってイスラエルの諸民に語るしゃべり、直接語りかけているのではないバレスチナの人にも日本人にも何かの形で伝わることは確実なしゃべり。

菅井は、坂のある非風景氏とは、いまは意見が違っている。諸民を「卵」に例えた村上氏は、よい比喩を選んだと思っている。「壊れやすい」は卵の一つの属性である。それは事実だ。だが、それだけではない。卵はこわれにくいとも言える。幾百の卵を並べると、すごく重い加重にも堪える。卵はたちにくいが、一人で立つ事だってできる。ためしに生卵をたててみるといい。中谷宇吉郎が「立春の卵」という文章に書いている。その上に卵には構造(システム)もあり、その殻はいのち(魂)を守っている。そして、われわれはみな、現状で多かれ少なかれ、「ある程度は」卵なのであると。 


「壊れやすい卵」にではなく、「卵」に例えたのだと、菅井は受けとめる。それを脆弱なと受けとめるとしたら、それは受け手、読者がそうとるのであると。



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坂のある非風景


道は断崖と絶壁によって挟み撃ちにされている
2009 / 02 / 24 ( Tue )

わたしたちは、わたしたちに死を書き込むために言葉を選択したのである。この「言葉」という部分をシステムといいかえてみれば、これはちょうど、村上春樹エルサレム賞受賞講演の中の「システム」を「記号」に置きかえてみよといった内田樹と同じことを、ただ逆向きに行っているだけである。内田樹村上春樹への過大な評価は、読みかえの技術の妙にあったが、それを称えることは村上春樹の講演を称えることにはきっとならない。

そこで、僕たちひとりひとりはかけがえのない魂を内包した壊れやすい「卵」であり、その卵の側に立つという使命感と、それに敵対する壁としての<システム>の物語がはじまる。何が打倒されるべきなのか、システムである。何が守られるべきなのか、卵である。ロマンチックな戦後思想がずっと信じて語り継いできたことをふたたび耳にしたような気がした。村上春樹は無際限に正しい。ただし、この寓話の中に限ってはである。

いったい何が打倒されてきたのか。個人とシステムを対立項として描くような視点であったはずである。それが1960年から1990年にかけての、我が国の思想の、たった一歩の前進だったと思っていた。それともイスラエルは我が国の1960年以前をいまも生きているのだろうか(私たちにとって過去である戦争を現在も継続しているという理由で?)。では個人とシステムを対立項として描かないような視線、吉本隆明の『ハイ・イメージ論』に出てくる人工衛星の視線、世界視線は、またもやひとつのシステムによる支配ではないのか。たぶん支配なのである。

ひとつのシステムを無化するものは、それよりもひとつ高次な別のシステムにすぎないという認識だけが現在の思想家が共有しうるただひとつの諦観を準備するのではないだろうか。

すでに50年前になろうとする1963年、高橋和巳が『孤立無援の思想』のなかで、『礼記』の話をしている。孔子が弟子たちと泰山のかたわらをよぎったとき、墓石にとりついて泣いている農婦をみて立ち止まる。舅が虎に殺され、夫が虎に殺され、子どもまで虎に殺されたと農婦はいう。なぜここを立ち去らないのかと孔子が問うと、ここには苛政がないからとこたえる。<苛政は虎よりも猛なり>と孔子は語って通り過ぎてゆく。

このとき苛政は虎と対立しているのであって、残酷に踏みにじられる卵としての農婦一家と対立しているわけではなかった。虎が第一の自然ならば、人間にとって政治社会は第二の自然だった。孔子は苛政と立ち向かい、こういう農婦を救うための政治を目指すと決意するわけだが、もしここで孔子とは逆に、墓に哭する農婦とともに立ち止まる(虎と戦うこともできないくせに)のが文学の使命だと語っていたら、高橋は村上春樹と同類だった。

ところが語っているのである。時はベトナム戦争のさなかであり、我が国はその戦争によって富みに富んでいた。ベトナム戦争のニュースをみて解説者のように語り合うことではなく、日々泥土の内に死んでゆく兵士の死骸のみを非政治的に凝視せよと高橋は語っている。文学は政治的に語ることがあり、政治は文学的決断によってすすむこともある。ここが村上春樹とずれるところである。高橋は壁を拒絶するだけではない。卵も拒絶するのである。「日々泥土の内に死んでゆく兵士の死骸」とは、すでに壊れてしまった卵であり、踏みにじられる個人の直喩というよりも、<苛政>の暗喩として語られていた。

道は断崖と絶壁によって挟み撃ちにされている。つまり簡単に壊れてしまう卵とは、卵の特質ではなくシステムのエピソードなのである。脆弱な卵を選択することは強靭なシステムを選択していることにほかならない。それはシステムを無化する道とは違う道だと私には思える。歩むことの不可能な非選択の道だけが伸びている。