メモ

村上春樹には、システムという言葉は壁という意味とは別の使い方がある。どなたかがブログで
回転木馬のデッドヒート」から引用していたような、自分をつくっているような運行システムだ。
これも自分が作り出しているものなのかもしれないし、いつもどこか違うところへ行ってしまうへまなシステムなのかもしれないが、それは自分そのものだ。卵の側のことなのだ。たとえば、村上春樹さんなら、走ることは彼のそのシステムの欠かせない一部をなしているだろうと思う。
比喩は文脈をもっている。
村上さんはまちがいなく、エルサレム賞のスピーチは誰にも、つまり、自分の小説なんかに一度も関心をもったことのない人にも、はっきりわかるようにしようとしたのだと思う。


村上さんのスピーチを読んだ人のおおくが身体的な出来ごとを語っているのがおもしろいと思った。
涙が出た、背筋がぞくぞくした、ぐっとこみ上げるものがあった、鳥肌が立った。・・・

村上さんも好きなドアーズの 「ライトマイファイヤー」  みたい。



意味がなければスイングはない』の冒頭、シダー・ウォルトンの項で、村上春樹は次のように書いている。
「何もミュージシャンや小説家に限らず、数としてはそれほど多くはないにせよ、世の中にはこういうタイプの人が存在する。普段はおとなしくて、積極的に前に出て発言することもないから、そんなに目立たないけれど、大事なときがくると立ち上がって、言葉少なに、しかし整然と正論を述べる。その言葉には確かに重みがある。しゃべり終えると席につき、また静かに他の人の意見に耳を傾ける。そういう人がいればこそ、世界のおもりみたいなものが、しかるべき位置に調整されて収斂するのだという印象がある。
シダー・ウォルトンはまさにそういうタイプのミュージシャンである。」(文藝春秋版単行本13ページ)

 これは村上春樹氏の自己イメージみたいだと菅井は思った。これって、ねじまき鳥ってことじゃないですか。