「初もうで」は日本の伝統ではない

        「初もうで」は、日本の伝統ではない



 ボクはかなり前から、明治以来のこの新暦のお正月をどうもしっくりこないものと感じてきた。
結局、ヨーロッパの暦に合わせたために、本来の正月より1ヶ月も前になってしまい、新春とは名ばかり、寒いお正月になっている。ボクは数年前から、このヨーロッパ歴の正月も皆と祝うが、心ひそかには、旧暦正月(2月にある江戸時代までの正月)を、本来の正月とみて、そちらをメインに祝うようにしている。そういう人はけっして少なくないらしい。日本でも、旧正月という名で残っている。中国では春節と呼んでいると聞く。日本が含まれる、東アジアの正月は、本来、春の訪れを祝うものである。
 正月にはさまざまな行事がある。多くの人はこれを日本らしい生活文化として自然なものとして呼吸している。とりわけ、幸せな家族があるところでは、家族そろって祝い、「初詣で」などもしておせちを食べ、おとそをのみ、お雑煮を食べ、お年玉をもらい、七草にはかゆを食べ、いろいろしているだろう。それはよいことである。
 尊敬している森田実さんのサイトには、戦争直前、昭和16年くらいの森田家のそのような幸せなお正月の姿が活写されている。(森田実政治日誌1月1日その3「松の内の想い出ー大家族の正月」)
《元旦の朝は全家族がそろい、まず父母に挨拶する。それから大晦日に母がつくったおせち、屠蘇、雑煮で新年を祝う。そのあと近くの天神様へ父に連れられて全員で初詣する。昼はおせちなど簡単な食事だが、夜は刺身、とろろなどの豪華な料理が並ぶ。・・・》

 だが、今自然にみえていて、日本の伝統文化のように思えていることで、実は、そうでないものは多々あるのだ。


 実は、「初詣で」というものがそうなのである。


 正月も仕事をしなければならず、幸せな、家族みんなのお正月、などといかない人でも、「初詣で」くらいはしておこう、と思う人はいるだろう。東京近辺のネット右翼の諸君は、靖国神社に「初詣で」に行くのだろう。 
 そういえば、電車の釣り皇国、ではなくて吊り広告、靖国神社の「初詣で」宣伝が目についたっけ。



 大ざっぱに言うと、江戸時代までは、「初詣で」という習慣はなく、1945年までは少なくとも全国的習慣ではなかった、今のような「初詣で」が当たり前、というようになるのは戦後になってのことだということである。



 明治神宮靖国神社などの国家神道の大神社だけでなく、成田山とか、浅草の浅草寺とか、長野の善光寺とかの仏教のお寺へ「初詣で」する人も多いし、氷川神社白山神社浅間神社大鳥神社など近くの神社(氏神様,お祭りの時のお神輿が置いてある)に行く人もいるが、「初詣で」習慣の形成は、明治以降の国家神道と強く結びついている可能性極めて大と、菅井は予想する。


 母親に聞いたところ、雪の多い北国だったからだろうが、子供の頃(昭和のはじめ)、正月に神社とかお寺にお参りに行ったことは全くないそうだ。正月の行事としては年越しと言って、大みそかの夕方に(正月になってからではない)ごちそうを作って皆でたべる、父親が家の神だなにお飾り(鏡もちなど)をする、正月の終りにお飾りを燃やすなどだったそうだ。
 「初詣で」が古くからの行事であれば、旧正月(2月にある江戸時代までのお正月)に「初詣で」する人もありそうだが、聞いたことがない。


 他の人の言を聞こう。

 《●初詣で はつもうで
 新年に初めて社寺に参詣すること。初参りともいい自分の住む土地の氏神産土神・鎮守様)に詣でるのが本義であるが,今は著名な社寺,それもその年の恵方に当たる社寺へ詣でることが多い。正月は死穢と関係することを忌避し葬式寺との関係は遠慮するが,祈祷寺院へは現世利益の観点から初詣でが行われる。古くは1日の境は夜の始まる時刻と考えられ,年のはじめは今の大晦日の日暮れであった。大晦日の夜の食事が年取りの膳であり,これで一つ年を重ねた人々が家々で静かにこもり明かすのが正月祭であった。そして一家の主人が氏神の社にこもる習わしも古くからあったが,夜の12時が年の境と考えられるようになってから,現在のような元日の初詣での風習が生じたものだと言われている。
     〔参考文献〕民俗学研究所編『年中行事図説』1980,岩崎美術社》
     旅研世界歴史事典 ttp://www.tabiken.com/history/doc/O/O303R100.HTM

 「家で静かにこもり明かす」ことや、「一家の主人が氏神の社にこもる」ことがどのようにして、「元日初詣で 」に変ったのかはこれではよくわからないが、夜の12時が年の境と考えられるようになったのは、ヨーロッパの暦を取り入れてから(明治以降)ではないだろうか。ボクの母の経験は、明らかに、「一日の境は夜の始まる時刻と考えられ」ていた時の「年取りの膳」であり、「家々で静かにこもり明かす」正月祭だったのだ。「初詣で」以前の正月の過ごし方である。母の子供のころは昭和10年あたりまでなので、その頃、「初詣で」はそこには普及していなかったことになる。
 一方、父は「初詣で」に行ったと言うので、同じ頃、「初詣で」があったことは事実だ。


また、次のような記述もある。

 《新年に初めて神社に参拝することを初詣でといいます。本来初詣では「恵方(えほう)参り」と言われ、その年の縁起のいい方角の神社にお参りしました。恵方とは陰陽道(おんみようどう)で、その年の干支(えと)にもとづいた最も縁起が良い方向のことをいいます。つまり、その年の恵方の方角にある神社にお参りすると年神から福が与えられると考えられていました。また、恵方とは反対に不吉な方角とされるのが「鬼門」です。
 初詣は以前は元旦に限られたものでしたが、今では松の内(1月7日)までに行けばいいということになっています。また、最近では有名神社に集中する傾向が年々強くなり、氏神産土神(うぶすながみ)、また恵方という意識は薄れてきています。》
    ALLABOUT ttp://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20011227A/

ここからは、「初詣で」は、氏神産土神の地域の神社に行くか、恵方という方角の神社に行くのが本来の姿で、有名神社(靖国明治神宮など)に行くのは、最近の傾向と読み取れる。


さらに、このような指摘もある。

 《[注8]このように新たな国家神道に基づく新神社が多く創建されたが、その集大成が神武天皇を祀る橿原神宮(明治 22年)と明治天皇を祀る明治神宮(大正9年)であったことは言うまでもない。初詣で全国屈指の参拝客を迎えるこの広大な神社が、明治以降の創建であることは案外知られていない。また、その「初詣」という行為自体が、明治期以降の「伝統」であることも。》
   靖国神社問題と日本人の「宗教」(mansonge) 
       ttp://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-76.html

 具体的な根拠はここに述べられていないが、「初詣で」が明治以降のものだということはボク一人の意見でないのだ。


さらにこのような見解まである。

 《今日、日本人のほとんど全てが「日本の伝統」と信じる習慣や儀式の中には、確かに古代からの綿々と受け継がれた伝統もありますが、意外と新しい人工的に作りだされた「伝統」も存在するのです。例えば、初詣でと神前結婚です。圧倒的多くの日本人は元旦には神社へ初詣でに行き、願いを絵馬などに託して新年の幸を祈る、これを伝統儀式と信じています。ところが、実は今日見るような都市部における神社初詣での習慣はわずか60年前、第二次大戦後に始まった習慣なのです。
 「国家神道」という言葉をご存知でしょうか?現在の歴史教科書では触れられることの少ない問題として、戦前の日本における神道の役割があります。戦前、神道は宗教ではなく、国家の管理下におかれ天皇家を祭司とする、いわば国家のためのセレモニーでした。
 よって、明治神宮伊勢神宮靖国神社を初めとして、全国津々浦々の神社は政府の管轄下にあり、勤務する神主は官吏に等しい待遇でした。ところが、敗戦伴う日本の民主化により、「政教分離」が国政の最大原則と定められ、神道は仏教などと同じく宗教法人としての独立を余技なくされます。財政的にも国の支援を得られなくなった神社が、経営の為に考え出したのが、初詣で、という名の新しい宗教儀式なのです。おかげで、毎年元旦には賽銭箱というまさしくドル箱を一杯にすることにより、神主と巫女たちもなんとか生活の目途が立つようになりました。
 もう一つの「神前結婚」ですが、記念すべきファースト・カップルはなんと大正天皇(1879-1926)と九条節子の結婚(1900年)なのです!今上天皇美智子皇后の結婚が日本全国にテレビが普及する一大エポックとなったのと同じく、大正天皇の神前結婚をその後庶民が模倣し、今日のような「伝統儀礼」が創出されたのです。》
 大庭乱の「日本文化原論」 ttp://china-project21.269g.net/article/149401.html

 「初詣で」は戦後のものというのは、ボクの父の記憶や森田さんの文章ともあっていないので、言いすぎだと思うが、戦後、収入源を絶たれた神社が、「初詣で」を積極的に宣伝した、ということは大いに在り得ると思う。現に、今でも成田山靖国神社の初詣で広告を見かけるのだし。戦後しばらくの間、初詣でする人は多くなかったという指摘も、見たことがあるからである。


 《内務省の庇護を失った全国11万の神社は自治的組織として神社本庁を発足させたが、敗戦後しばらくは初詣での人出も少なく、冬の時代に入る。》
 現代ネット「敗戦占領下の日本の歴史」 ttp://gendai.net/contents.asp?c=024&id=52



 日本のよい子たちは、《やっぱり、「年明けに初詣で」は伝統だと思うから》「初詣で」しているようだし、小泉首相も《『初詣で』は日本の伝統だ》から1月1日に靖国神社公式参拝したりしてるのだが、少なくともそれは、近代以前の日本にさかのぼることはできないことで、「初詣で」は伝統的日本文化では実はなかったのだ。


 というわけで、今年生まれてはじめて、ボクは「初詣で」をしないことにした。近所の鎮守様に行っていたので、かまわないかとも思ったが、今回調べてみて、どう見ても、「初詣で」はお正月の行事のメインストリームに入っていない、と理会したからである。
『過ちては則ち改むるに憚ること勿れ』(孔子、中国)である。



 まだ、「恵方参り」とか、「初詣で」がどのように生じたかなど、わかっていないこともあるが、今日の探求はここまでにします。