想像せよ 

ヤフーニュースの西暦06年7月18日付中国ニュース

高井潔司氏が

自画自賛」では済まない国連決議採択

という分析を載せているが、おおむね菅井は同意する。
菅井の稚拙な主張に偏見を持つ方は、こちらをも読んでいただきたいと思い、紹介させていただく。
 他にも、適当に見ても、ネット上には菅井と同趣旨の、今回の日本国の態度と国連決議に批判的な文章をいくつも見受けるが、新聞、メディア上にはほとんど見られない。日本国のマスメディアは、自己中心的で、近視眼的な興奮にあふれている。日本国の好戦的外交にまともに釘をさしているものは見られない。
 まことに情けないことだ。日本国のもとにありながら、その国の最高法規について、まともな教育をさぼってきた政府の影響下に育った若者が、戦争がいかに諸民を不幸にしたかを具体的に知らず、平和主義のなんたるかを、そもそもわかっていないのは、残念なことだが、当然の結果とも言える。
 ただ、このたびの日本国の対応と、中国の対応とを比べて、根本的に、どちらが成熟した、次の時代の世界をひきいていく対応であるか、をよく考えてみるといい。
 日本国と、ネット右翼らの好戦主張、朝鮮をとにかく制裁せよ、は、自分のことしか考えていない。しかも、その結果、自分たちの真の利害を守るものにさえならないのだから、こまったものなのだ。子供らしさを貫く事は時に重要であるが、この場合、日本国と、朝鮮制裁強行派、好戦派に対しては、大人にならなければどうにもならないと言う以外にない。

 川につきおとしても、子供が死ぬかどうかわからない、などと言って突き落としておいて、死んでしまってから、しまったと思っても遅い。一度なくなった命はけっして戻ってこないのである。死んでから、その子が自分にとってどんなに大切なものであるか知ったとしても、その欠落はもう埋まらない。

 某大国の某大統領のウソ八百によって始まった戦争で、爆撃され体を吹き飛ばされて亡くなった子供たちの命が決して戻らないように。
 某大統領の愚かさにより国を壊され、これだけ多数の人家族友人を殺された西アジア某国の人々は、某大統領とその仲間が、どれだけの謝罪のコトバを述べれば、許すことができるだろうか。菅井には、想像することもできない。

 想像せよ