ひとりごと

 古巣のあるサイトを久しぶりに訪れた。そこの管理者のおしらせページの一行にどきっとした。目をつむった。残念だろうなあ。そのことには百もいいたいことがある。だが、いろんなことにも気がつかされた。自分の文章を読み返して、当時の事情と気持ちがよみがえった。ボクは過去に何度も「死んで」いる。これはもちろん比喩だが、その度にこんな世の中とは一緒に生きていけない、という子供っぽいが、切実な気持ちだった。そして、無責任でもあった。
 そのボクが今も生きているのは、その度に、もっと困難な場所で、じっと耐え、あるいは困難な闘いを継続している人たちがいて、一緒に生き、教えられ、はげまされたからだ。 たとえば、イラク国に生きるアメリカの侵略に屈していない人々の存在である。菅井は非暴力主義(平和憲法)への信念をもち、その普遍性を信じているが、でも彼らへの尊敬は変わらない。
 人は孤立した個人ではない。つながって生きているし、つながりがその人を作るのだ。